少し前、中国でバスの席を譲らなかった若者に老人がキレたってニュースがあったけど、それについて少し考えてみた。


そもそも僕は、若者が老人や妊婦、怪我人に席をすすんで譲る義務はないと思う。

もちろん、親切心で自ら譲る人は偉い。それはそうだ。

だが、単純に考えて、先に座った人が後から来た人に席を譲るということは、(良い意味でだが)異常な行為である。

そして、最近ではその異常行為が多くの人の間で行われ、さも当然の行為とされている。


しかしその裏には、人間の良心の他に暗い強制力が大きな影響を持っていると私は思う。


今日では、
人々は席を譲らない人を見ると、その人を見下し、常識外れとけなし、そして人間的にクズだと判断する、それが当たり前のこととなってきた。


すると、自分がその蔑みの視線を受けたくないと、さらに多くの人が席を譲るようになる。


そしていつのまにか人々は、老人に気が付いたら譲る、から、老人をわざわざ探して譲る、くらい過剰になっていったのだ。


理由はどうであれいい傾向だと言う人もいるだろう。
結果みんなが席を譲ろうとするのだから。


しかし、私はそうは思わない。

中国で老人がキレたのは、席を譲って当然だと老人が思っていたからだ。(詳しい事情はわからないが、今はこうだったと仮定する。)


しかしそうなると、本来なら当然なことである、自分の確保した席は自分のもの、という概念が薄れてしまう。


異常な行為は、常に少数派でなければいけない。

それが逆転してしまうと、普通なことが普通に思えなくなってしまうのだ。そんなことはあってはいけない。

その歯車が狂ってしまうと、中国のバスの事例のようなことが多発するだろう。

したがって私は、本当に善の心を持って人々が自主的に席を譲らない限り、他人に席を譲る必要はないと考える。

もちろん私も、良心の呵責がない限り席を譲らない。
ブログ二日目にしてもう飽きてきたかもしれない…笑

なんか日記的なの書くとブログの主旨変わっちゃうからできればこーゆーのはしたくなかったけど↓笑


とりあえず画像のっけてブログっぽくしてみる(^^)


今日行った横浜の夜景です。

ただの日常から見つけた大切なこと。-100822_180411.jpg
高校がいいって話したばっかだけど、


なんだかんだやっぱ早く大学生になりたい(^^)


でも中学生のときも早く高校生になりたいとか言ってた気がする…笑



人ってみんな、未来の0からの生活をすぐ待ち焦がれちゃうんだよね。

すぐ新鮮さ求めちゃう。


まあそれって結局、今の生活に少なからず不満があって、そこから逃げたいだけなんだろうけど。

でも最近は少しずつ将来のビジョンが見えてきて、毎日充実してます!


じゃ、今日はblog初日だしここらへんで!


読んでくれた方、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。