文末の意味 | 水は何にそだつの?

水は何にそだつの?

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私がよくブログの締めくくりに使っている「今日も一日生きていました。ありがとうありがとうありがとう」という言葉には色んな意味が込められていて一概には説明しきれないのですが、今回はちょっとその断片を紹介しようと思います。

実は私葬祭業に携わっておりまして、仕事を始めた時、仏教について少しは勉強しようと思い「子どもにおくる般若心経(新井満)」という簡単な本を買いました。

内容の重要なところを言うと、「あなたが頂いた、奇跡のようないのちに感謝しながら、自分の役割をはたしなさい」とか「あなたのいのちと、あなた以外の全てのいのちに感謝しなさい」とかなんですね。
買った時は毎日寝る前に読んでいたので、「感謝する」ってことが大切なことなんだ、と深く心に刻まれました。

また仏教的なことで他にも私に強い影響をもたらしたのが、去年のお盆にお寺から貰ってきた「ごえん」という冊子です。

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この表紙に散りばめられてるちっちゃい文章が、それぞれ項目のタイトルとなり冊子の中で説明されているんですけど、そのタイトルだけでも素晴らしい言葉なので紹介しますね。「ご縁とは?」という問いに対する十の答えです。

人と人とを結びつける不思議なめぐりあわせです。

わたしたちが自覚する以前から、つながっています。

わたしたちが認識している以上に、遠くまで広がっています。

過去から現在、現在から未来へとつながっていきます。

誰もがつながっていけることです。

わたしとあなたのことです。

わたしと仏さまのことです。

わたしのいのちを支えているものです。

わたしがここに存在していることそのものです。

わたしはあらゆるものにつながっています。


…と、以上です。
「縁と無常」を知ることが仏教での重要なこと、という説があったと思うんですが、「今日も一日生きていました。ありがとうありがとうありがとう」とはほとんど縁についての感謝です。「何があっても感謝しているのか?」と思われるかもしれませんが、「腹が立った時はありがとうと叫べ」なんて他の仏教の本で読んだので、何があっても感謝すべきなんだな、と、とりあえず習慣にしてみようと思いました。

あと、生きていること。幸せや不幸せで命の価値が決まるものではなく、何があっても大切なのは存在した事実だと思ってるんです。
幸せだから驕ろうとか、不幸せだから不満に思おうとか、そういうのはやめたいなと思うんです。
ただ生きているということの重みをしっかり掴んでいたいというか、命を讃える姿勢を保とうと思って、使っている言葉です。

あと、私の日記帳には、25位の時北海道旅行で巡り会ったポスターのにそえられていた「私にできることは小さなこと・でもそれを感謝してできたら・きっと大きなことだ」という文の写真がしおりとして挟められているんです。

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もうここまで来ると「感謝って流行ってるんだ~。よし、もっと流行らせよう♪」と思えて三回連呼という形になりました笑。


昔はかなり世の中を恨んで感謝などせずにいた気がします。
だから最近の私のこの変化は大切にしたいんです。
これからも続けさせて下さいね。