日本の道徳教育 | 水は何にそだつの?

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昨日の夜、BSのプライムニュースという番組で、これからの日本の道徳教育についての論議(計四名)をやっていた。
都合上2時間あるうちの後半の1時間しかみれなかった。
その最後に番組のまとめとして、二人のゲストが「道徳とは?」について短い文を掲げた。
恐らくゲスト二人の内では若い方の政治家のおじさんは、「お天道様」とか言っていた。この人は、番組のなかで「日本は、あらゆる宗教の良いエッセンスを取り入れて組み立てた、全く新しく世界的にも定着する素晴らしい道徳観念を構築できる希望がある」とか言っていた。かたや年寄りのゲストは「道徳から宗教を抜いたら歴史こそ道徳の要だ」とか古めかしいこと言っていた。
そこで、「道徳は宗教から逸脱すべき」という意見はまとまっているんだけど、そこで「お天道様」発言には問題がある。

なんでも、政治家さんの言いたいことは「お天道様に見られていると思って生活すること。恥ずべき行為をしないと心に決めて生活することが道徳というもので、そこには凝り固まった宗教的要素はどこにもない。」ということだ。

実は、もうだめなのである。既に宗教に染まっているのである。「恥」を基準に生きるということが、日本が古くから持っている観念なのだと、かつて何かで言っていたので、知っているのである。私は、それは宗教であると。

ざーんねん。

しかも…「お天道様」って、太陽と対話したら完璧に宗教なのではないのだろうか。なんかアマテラス崇拝が色濃く残る、典型的な日本の宗教に染まるひとって感じだけど本人は自覚ないのだろうか?

私、「道徳とは?」と言われたらやはり「前向きに考え、行動し、生きよ」だと答えるなあ。これに尽きる気がするよ。

年寄りゲストの話す内容はかすかにスタジオにも呆れムード漂うような、「話す内容に世代の差を感じる」ものだった気がするけど、いいこと言っていると思ったことがある。

小学校では国語を、中学校では歴史を、そしてやっと高等教育で道徳を学ばせないとコトの本質は分からない。…ということ。
ほんとに感心。そんな気はする。

教育者ですら道徳の道理は分かっていない今、そして20代なかばから道徳心の本質を知りたい私、小学校入らなくてもそれなりに芽生える子供の正義感、総合して計算したらその通りだと思う。

私の意見にも恐らく粗があるだろう。
だが今道徳教育の質を高めたければ、誰に構わず語り合い、沢山葛藤して、意見を洗練させ、その答えへと導かれていくのを期待するしかない、と思う。
だから私はこのことを記述することにした。