今日本はアジアと仲がうまくいっていない…
と大雑把ですがそう報道されています。
小学校の歴史の授業でもそう習いました。現在韓流がブームなことが当時からみたら嘘のように感じています。日本とその近辺のアジアとの仲について子供ながら辛辣に感じました。
先日、韓国とアメリカのリーダーが会談を行い、「日本は歴史認識を確かにして欲しい」との話題が韓国側から上がったようです。それについて、日本の偉い人は(表現が幼稚ですみません…;)「もっと日本を評価して欲しい」みたいな見解を示しました…。
私はこれは間違ってると思いました…。
辛辣に感じたとは言え、日本のアジアとの歴史の教育は充分ではないと思っています。さらっと教えられただけ。それでも先進国と胸を張って生きれ…というニュアンスで教育されたように感じています。
アジアは日本の家族だと思います。
もっと理解し合い、助け合い生きて行きたい。
今の現状が寂しいです。
日本は傲慢なことをした。
いまだに傲慢だ…。
いくら東日本大震災で国民同士の助け合いが世界に評価されたとしても、…それがなんだとも感じてしまう。結束して傲慢である?
私は、人は、信じることで生きられる、と思います。
無神論者でも何かを信じているから生きていける。
何故日本とそうでない国で歴史についてすれ違うのでしょうか。私はどちらが正しいのかは知りません。その主張は生まれた国だからという理由だけですれ違っているのでしょうか?
愚問だと思われるのでしょうか?アジアの主張に譲ることは出来ないのでしょうか?
歴史の正しさなどなんでも構いません。今、生きていることが歴史の答えではないでしょうか。そしてアジアと仲良く生きて行きたい。歴史の正しさよりもその方に私の心は傾いています。だって今知っている歴史は本当に正しいのですか?卑弥呼が何処に居たということは、分からないままでも人は健やかに生きていけます…。安直でしょうか…。
自分は誰であるかを歴史は示しています。それは神話のようなものです。信じているから今がある。
しかし、そして、だからこそ、
アジアに譲るということは出来ないのでしょうか(┬┬_┬┬)
それはアジアの神話なのです。
私は、歴史でなくとも、アジアの悲しい心を信じています。それが報われるよう祈っています。
歴史は神話で構いません。
日本人はおのずと神社に生きます。なのに結婚式はキリストの神に誓ったりもします。「信じる」とは馬鹿馬鹿しくも、命を支えています。
日本人はアジアの命やそれに当たる人権をおかして来ました。
信じるということ、
知るということ、
どちらも人権です。
日本は人権を理解していないのではないでしょうか。
残虐な「戦争」をアメリカに仕掛けたのは日本からです。結果原子爆弾というものをふたつ落とされる悲劇がありましたが、結果論で言えばそれが「戦争」なのです。
それでも、日本の天皇を殺してしまうことは、キリスト教徒にとって「キリストを張り付けにされることのようなものだ」と慈悲をかけられ、今この日本があるのだそうです。
その時はまだ「天皇は神」という考えがあったからでしょう。いまだに皇族の暮らしは国民の支えになっています。これ程ありがたいことはない、と思います。
現在の歴史についての見解についての争いは、ほとんど宗教戦争と言えるのではないでしょうか?
だからこそ、真実などどちらでもいい…。
日本は神を戦争の上でも守られた。その合理を信じることは、「人というものはなんであるか」を知ることになると思います。そう、信じなくては何も始まらないのです。アジアの人権を守るという行為をアジアは続けています。人権とは何なのか、深く考えれば、歴史を譲るという方法も有り得るのではないでしょうか。その悲しみを日本はおかしてきたのだと思います。悲しみを理解しましょう。このくらいの負けを認めることは妥当なのではないでしょうか…。