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サムトッシュのブログ

わたくしサムトッシュの興味・趣味の赴くままに書き連ねるブログです。

最近、ひょんなことからサンカ(山窩)という存在を知り、図書館から山窩関連の本を何冊も借りてずっと読んでいる。そして、山窩の生活を描いたこの映画の存在を知り、ぜひ見てみたいと思っていた。そこでどうにも我慢ならずDVDを購入してしまった。


そもそも山窩とはなにか?

「瀬降り物語」のDVDのパッケージにはこう書いてある(これは映画の冒頭にも出てくる)。


かつて(昭和10年代の末頃まで)関東以西の地方に、一般社会と隔絶して、山野をさすらいながら生活を送る山の民がいた。彼らは農村近くの川原に瀬降り(セブリ)という天幕を張り、箕作り、箕直しを主な生業としていた。その社会は彼ら独自のもので、他を寄せ付けず、アユタチと呼ばれる大親分(オーヤゾー)を頂点に、クズシリ(国知)、クズコ(国子)、ムレコ(群子)の各親分(ヤゾー)が、各地の瀬降りを取り仕切り、その生活は、独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていた。

もし、その掟(ハタムラ)を破る者がいれば、厳しい制裁が待ち受けていた。彼らが理想とする、誇り高き社会を守るために…。物語は、戦雲の色濃くなり始めた昭和13年頃を背景に、一族でムレコ(群子)の親分(ヤゾー)と呼ばれる男とその息子を中心にして、自然の摂理には決して逆らわず、常にそれと一体となって暮らしていた山の民たちの風俗、生活様式、儀式などを、四季の移り変わりの中で紹介しながら、大地に根ざして生きる人間の逞しさ、哀しさを格調高く謳い上げていく。


まるで、マフィアのような書きようだが、この山窩という人達は、戸籍がなく、定住することなく山の中を常に移り住み(足が滅茶苦茶速いそうだ)、子供は学校にも通わず、文字も読めず、かといって物乞いをするわけでもなく、家族という単位で行動し、精巧な箕を作り農家にそれを売り、生活をたてていたそうだ。


宮崎駿アニメの「もののけ姫」に出てくる巨大な犬に育てられた少女サンは、山窩からとった名前だという説もある。確かにあのアニメに出てくる登場人物たちは、皆、アウトローな人ばかりだ。らい病患者があのアニメの中に出てくる。その昔、山に捨てられていたであろうらい病患者を、山窩は暖かく迎え入れていたという話もあるらしい。


では、山窩はいつから山窩になったのか?


その発生には諸説あるそうだが、柳田國生が唱えているのは、大陸から来た農耕民族の弥生人が、勢力を広げていって日本を支配するようになり、そんな世の中を良しとしなかった縄文人が山に入り、そのまま山窩になった、というものだ。

他にも江戸時代の飢饉のときに発生したという説や、幕末の動乱時に山に引き籠った人々が山窩となったなど、大きく分けて3つの説があるらしい。


私は柳田國男説を強く推す。なぜか?


小さい頃、見た夢で、この説に近い夢を見たのだ。


それは、遠くから何日も歩いて疲れてしまった私は、峠にある休憩所で休んでいた。

腰を落ち着けて、今来た道を見ると土煙をあげながら何かが近づいてくるのが見える。

よく見ると、それは身長2m以上はあろうかという3人の弥生人(白装束に髪を頭の左右に丸く結わえたあの弥生人)だった。

明らかに私を標的に走っている。

私は怖くなって、その場から逃げ出す。

しかし、逃げても逃げても、やつらは追ってくる。

捕まりそうになると、そこらへんにあるモノを弥生人に投げつけながら、必死になって逃げる。

なんだ、こりゃ!

なんで弥生人に、しかも3人に、しかも巨人の弥生人に追われなきゃならんのだ!


そんな訳の分からない夢にうなされて起きた覚えがあるのだ。


そのときは子供だったけど、このあまりにも怖い現実感のある夢に、きっと自分は前世は縄文人で、弥生人に追われていたのだと思ったりしていた。

しかし、山窩の話を知り、柳田國生の説を知って、今、確信した。


私の前世は山窩だったのだ。


なんてアホなことを思いながら、最近、山窩の話を吸収しています。

日本にこんな人達がいたんですね。

こんな狭い日本にそんな人たちが、50年近く前までいたなんて、本当に不思議です。


瀬降り物語


1985年の映画です。主演のショーケンが本当にかっこいい。藤田弓子さんが大胆な演技をしています。

殿山泰司さんも出てるし、若き日の光石研さんがなかなかいい味だしてますね。



DVDを借りて「東京難民」を見た。

父親の仕送りで三流大学に通っている厳しい現実を知らないちゃらけた学生が、父親の失踪により学費も生活費も振り込まれずアパートを追い出され、やがてホームレスまでに堕ちていく様を追った、ある意味、ドキュメンタリー的な映画。観終わったあと、日曜14時にフジTVでやっているドキュメント番組を見たようなどよ~んとした気分にさせられる。

しかし、これは映画なので描き方がもっと深い。映画やドラマの良さは、ドキュメンタリーじゃ描けないような部分を描けることだろう。ドキュメンタリーでこのテーマと同じようなものを作ろうとすると、この映画の一部を抜き出して描かざるを得ない。

この映画はさまざまな社会問題が詰まっている。非正規雇用、格差、ホスト、ホームレス、水商売等々。

観る前は、そういう現状を憂える映画なのかと思っていたが、どうもこの映画の狙いはそこにはないようだ。たぶん、この映画は、主人公と同様の年代の大学生に向けて作られた映画なのではないだろうか?

仕送りしてもらているのにのべつくまなく煙草を吸い、ちゃらい友人関係しか結べず、厳しい現実に触れることもできないような大学生。人の良さが前面に出て、ほいほい調子よく物事を進めようとし、適応することがすべてだ!と考えているような大学生。

こういう学生はブラックバイトやブラック企業にいいように使われてしまい、心身を擦り減らしてしまうだろう。

それはなぜか? 知らないからだ!

どういう現実があるのか、実感として認識できないからだ。かく言う自分もそうだったから、大きなことは言えないが、今は昔と違い、現在の社会状況を実感として認識できないと命取りになりかねない。

映画の最後のほうに、ホームレスまで身を落とした主人公が、転落の一途を辿る中で出会った(ある意味、現実を見せてくれた)やばい人たちを「友達」として思い起こす描写がある。たぶん、この転落は自分だけの人生を生きる上で、必要な道だったのだ。今後、主人公がどう認識するかで、この転落は宝になりうる。現実は甘くないが、そう思える映画だった。



 NHKと放送作家協会が主催で開催する「創作ラジオドラマ大賞」で、佳作第1席を受賞した作品。味覚障害になってしまった女の子と、腕がメレンゲになってしまった男の子との不思議な恋愛ドラマ。


 メレンゲになってしまった男の子の指を折って、女の子が食べてしまう、という描写はもっと官能的なものに昇華できたのではないかなぁ?と思う。

 2年前の創作ラジオドラマ大賞で同じく佳作になった「水の居る水槽」という傑作があるのだけど、あのような広がりを見せれるテーマでもあっただけに、残念。


 男の子がTVで一躍ときの人のようになってしまうのも逆のような気がした。それぞれ問題を抱える二人の心理の奥の奥に入るべきなのに、外に出てしまった。


 せっかくの素晴らしいアイデアが世間におもねた展開になてしまったようになり、勿体ないと思ってしまった。


 しかし、今回のようなテーマはラジオドラマ向けですよね。この作家さんの次回作が楽しみです。




私はラジオドラマが好きだ。


元々、ラジオが好きだということもあるのだけれど、ラジオ番組の中でも、ラジオドラマは特に好きだ。


中学生の頃にやっていた、FM東京の「音の本棚」やTBSの「ラジオ図書館」なんかは、それを楽しみに毎日、待っていたくらいだ。


しかし、何とて言ってもクオリティの高さから言ったら、NHKのラジオドラマだ。

今も月曜日から金曜日にFMで放送している「青春アドベンチャー」、土曜日に放送している「FMシアター」がある。あと、AMで放送している「ラジオ文芸館」、「新日曜名画座」もあり、これらは朗読だが、とても楽しめる。


で、思うのは、なぜにこんなにラジオドラマが好きなのか?ということ。

いや、もちろん、TVのドラマや映画も見るし、好きなものもたくさんある。

けど、ラジオドラマを聴く楽しみは、それらのものとは全く異なるものなのだ。


やっぱ、それはラジオという特性ではないだろうか?


ラジオは基本、独りで聴くものだ。直にリスナーに届き、自分にだけ語りかけてくれるもの、それがラジオだ。

そういう状況で、耳だけを使ってストーリーや登場人物たちを理解しようとすると、より身近に感じるもことができる。しかも、映像がないから、自分仕様で風景は描けるし、自分仕様で登場人物の顔や表情、仕草を創り上げることができる。

聴いてる人間が物語に参加している感覚が、TVや映画より多いと思うのだ。


それがラジオドラマの楽しみのような気がする。


だから、同じラジオドラマを聴くたびに、わざと頭の中で風景を変えたりすることができる。

例えば、「公園」とか「学校」がラジオドラマにでてきた場合、大抵、自分が知っている「公園」や「学校」が頭の中で再現されると思うのだ。

それを、そうではない「公園」や「学校」に脳内でたちあげ、ラジオドラマを聴いてみる。

するとこの前聞いたのと、若干違うラジオドラマが立ち上がってくる。


これはTVや映画では絶対できないことだ。

そんなことができないこともないラジオドラマが私は好きだ。


というわけで、今日はFMシアター「シュガーソネット(第43回創作ラジオドラマ大賞佳作)」が楽しみな土曜の朝である。