アルバイトをやめてもうすぐ2週間
毎日大学に通っています。


ところが・・

時間を持て余しています。


いやヒマというわけではないんですが。

やることは山ほどあるんですが。

むしろ忙しいんですが。

全部が自分の時間なので、なんか慣れないんです。



それにしても毎日ほとんど人とも話さず、論文を読んだり、実験データをとったり・・

ちょっと疲れてきます。

やっぱり人と毎日話してるほうがいいなあ。
もともと僕は動き回って、何かを考えているほうが好きなんですよね。
人との関わりをもたないまま自分の思考にこもってると、だんだんインスピレーションが・・
ブログのネタも思いつかないし。。。



ただ時間はたっぷりあるんで、本はたくさん読めます。

まずはzimaさんにいただいた「「志を教える」

志

感想は・・

「アフリカに行けるか?」ってそういうことだったんですか!

ということでした。
すいませんzimaさんと旦那さんしか分からない内輪ネタです。気になる方は読んでみてくださいね。


「志をもつこと」

100年先の国のこと、世界のことをを考えられる人間



僕もそういう人になりたい

そう再認識しました。

いい本です。一気に読みました。
zimaさんありがとうございました。


次に読み始めたのは

「坂の上の雲」

坂の上の雲


大好きな司馬遼太郎の作品です。

実は「志を教える」のなかで紹介があったこともあって読み始めました。
勉強に支障がでそうだったので長編はちょっと控えようと思ってたんですけど、読みたい気持ちが上回りました。

あーきっと支障がでてしまう・・・・


もともと時代小説は好きなんですが、幕末や江戸中心に描かれたものばかり読んでいるので、近代は久しぶり。

まだ1巻ですけど、これからの展開が楽しみです。



朝日新聞より

政府は、イラク南部サマワに駐留する陸上自衛隊について来年前半にも撤退を開始し、来年9月までに完了させる方向で検討に入った。同月の自民党総裁としての任期切れまでに区切りをつけたい小泉首相の意向を受けた。イラク駐留の多国籍軍は現時点で、今年末に予定される新政府発足から約3カ月間に限り駐留継続を要請されており、その後の撤退開始は可能と判断した。政府は陸自の撤退後も航空自衛隊による輸送支援は継続する方針で、輸送拠点の拡大も検討する。


ほんとに撤退するんでしょうか?
小泉首相は自分の任期中は自衛隊だすよっていう姿勢だけ貫いた感じですね。

自衛隊はサマワで学校や給水インフラの整備なんかを主にやっていたとこそうですけど、国民のどれくらいがちゃんと認識してるんですかね。
もうちょっと胸張って国民にアナウンスしてもよかったんじゃないかと。



最近いろいろ書きたいことあるんですが、まとまらなくて悩んでます。
筆スランプ
ひそかにはまってるドラマ 「あいのうた」

ドラマに出てる玉置浩二ひさしぶりです。
いいキャラですね。

うまいのかうまくないのか謎のあの芝居

ぜんぜん見た目は似ていないのに、ちょっと山崎まさよしと同じにおいを感じます。

今回の役はほのぼのしたキャラもあって毎回楽しみです。


そして菅野美穂がいい雰囲気です

菅野美穂


設定は性格ブスだけど・・

たしかに役は性格ブスだけど・・・

かわいいじゃないかー



あと和久井映見もドラマってひさしぶりじゃないかな
房子さんいいですよねー


「あいのうた」ホームページ
今日はオチとかもありません。疲れました。




先生のところへ質問に行きました。


先生「お、この論文まだ読んでない」

「そうなんですか。僕は一通り目を通しました。今度ゼミでやりましょうか。」


先生「そうか、いいね。じゃあ明日のゼミで」


「はい。じゃあ、明日・・・」



ん?明日?

明日は3年生が発表・・・





先生「そっちのが先に読みたくなった」


おおお

そうですか



つーことで明日いきなりの論文紹介となりました。


訳文のタイプしすぎて目がしぱしぱします。
よしゆきくん面接対策は明日から書くから。
NHK記者が連続放火

朝日新聞


NHK大津放送局記者の笠松裕史容疑者(24)=休職中、大阪府岸和田市=が非現住建造物等放火未遂容疑で5日に逮捕された事件で、笠松容疑者が滋賀県警の調べに対し、逮捕容疑となった岸和田市の放火事件と、大津市内で4~5月に起きた11件の連続放火について、「絶望と孤独にさいなまれ、むしゃくしゃしてやった」と供述していることがわかった。笠松容疑者は、私生活のことや仕事上の人間関係などで悩んでいたとみられ、県警は犯行動機の解明を急ぐ。


むしゃくしゃしてやったそうです。なんだかなあー

この人スクープがとりたかったそうです。

そんな仕事はじめたばっかりでうまくいくわけねーじゃん!
それにスクープなんかないほうが世の中平和なんだよ!

同年代として本当に恥ずかしい。恥を知って欲しいです。

ちゃんと教育受けてきて、学生の頃けっこう評判いいですね。就職してはじめてうまくいかなかったクチかなあ。

と鳥越さんも仰ってました。


挫折を知らないっていうのはそれはそれでいいことですが、打たれ弱い人もいるんですね。

たまに「自分は今までけっこううまくいっている」なんて言う人いますけど、危機感を持って欲しい。


失敗をしてもそれを克服してうまくいっていると言うならいいです。そういう人はとても魅力的。

でも自分で跳ぶハードルを楽に跳べるハードルにだけ下げている人もいる。

できることだけやってきたというのはそれほど誇るべきことではないですね。
「やっぱメーカー志望だな俺」と思ったエピソードがあるんです。それを2つ。

ずっとメーカーで働きたいと思っていたんですが、その根拠は曖昧なままだったんですよね。


この曖昧さをどうにかしないとなーということをずっと考えていたわけです。


1つめです。
アメリカでの研修プログラムの中で、街にある企業の見学をさせてもらえる機会がありました。

部品を作ってる工場で、工場の中を見せてもらったんです。

普通と言えば普通だったんですが、気になることがいくつかありました。
僕の主観なのですが↓

あんまりきれいじゃないこと
ちょっと危険・・
製品管理をあんまりちゃんとしてない

工場の中は油臭くて汚かったんですよね。一度日本のあるメーカーの工場に入ったことがあったんですが、掃除が行き届いているし、オートメーション化されてました。けっこう大きい会社の工場だったんで単純に比べてはいけないのかもしれないですけど。


工場内を歩いていて「危なくないのかこれは・・?」ってことが何度かありました。

日本の工場だと見学者はヘルメット被らされて、歩くルートもすべて決められてます。

僕のいったオハイオの工場は、上からものがぶら下がっていたりして安全管理があまり徹底されていなかったように思います。


製品管理についても日本の工場では“不良品が出たら即作業中止”なんてところもあります。
できたものは製品の仕様書がペタッと貼られて無造作にごろごろ。実は無造作じゃないのかもしれませんが・・

日本の工場はきれいに並べられて別の場所に移動。もし不良品が出たら見える場所に置いて全員にどこが間違っているのかチェックさせます。


実際は、すごくささいなことなのかもしれません。僕の知識と言ってもたくさんの工場をみているわけではないですし、ひとつ見ただけで全部が全部こうだ、と言うわけでもありません。
実際のところどうなんでしょう?37どうなの?

でも僕にとってこの3時間ほどの見学で、驚くほどいろいろな気づきがあったことは確かです。




このあとふっと思い出されたことがあったんですよね。
それが2つめのエピソード。


小さい頃、父の仕事の関係で名古屋の町工場に行ったことがあります。
社員数人の小さい工場なんですが、そこの社長さんは気さくな方で、小学生の僕を連れて工場を案内してくれました。
父は、ここでないとできない作業があるので委託をしている、と教えてくれました。


帰りの車の中で父が、

「よく覚えておけ。いままで日本は、ああいうおっさんが作ってきたんだ。
お前が大人になるころには、世の中は変わってるかもしれないけどな。」


と言っていたのを思い出したんです。


この工場の社長さんとは、最近またお会いしました。10年ぐらいたっているのですが、工場も大きくなっていたし、「新しい設備と技術で、今までと違う仕事ができるようになった」と仰っていました。


帰りに父は

「あの人はもうすぐ60歳だけど新しいことを常にやり続けてる。
だからあの小さい工場で大手の会社相手に仕事が出来る。他にはできないことを常にやってやろうとしてる。」


と言っていました。


このことを思い出して、今まで曖昧だったことが整理できたような気がしました。

要するに僕は「日本の製造業はやっぱり世界に誇るべきものなんだ!」ということが言いたかっただけだったんです。


戦後から60年、日本を作ってきたのはそういう製造業に携わった人なんです。
ここ10数年の不況で、そういうことはないがしろにされてしまいましたが。

でも今は中国を始めとしたアジアの成長が続いていますよね。
そこで“ものづくりの国 日本”の力はきっとアジア圏の発展の役に立つはずなんです。


アジア、中東、インド、アフリカといった地域は未だに発展が遅れている国も多いです。

すべての国と文化が市場主義に飲み込まれればいい、なんて思いません。
でも少なくとも、「どうしようもなく貧困である」とか、「安定した仕事がない」なんてことは無くしていかなくてはいけない。
工場ができれば、そこで働ける人がいるかもしれません。
そこで日本的ものづくりを知れば、自分たちで工夫できるかもしれません。


だからこそ発展し続ける日本の企業の力は大切なんだ。

このことに気づいて、「自分も日本の力を世界に役に立てるための力になりたい」
「“ものを作って売る”という流れの中で、ちゃんと役割を果たせるようになりたい。利益をあげられるようになりたい。」




そういう自分の軸ができました。これが自分が求めていた“メーカーで働く理由”だったと思います。
また、常に新しいことに挑戦し続けるものづくりの世界は、オハイオのおじいちゃんから教わった“生涯通して人の役に立つこと”になると思いました。
これが2つめの軸ですね。


この2つの軸があったからこそ3月に帰国後、自信をもって選考に進めました。

面接でこの話をしたことは実はそれほどないんですが、ぶれない軸をもっていたので、どんな質問にも動じないで答えられたように思います。

また選考に落ちても、それほど落ちこむことはありませんでした。
不合格ということは、自分のこの軸と相手側の企業のニーズがマッチしていないんだ、と素直に受け止められたからです。そう割り切っただけかもしれませんが。。



長くなってしまいました
ちょっと最後尻すぼみ気味でしたが、メーカーで働く理由シリーズはおしまい。
結局、ただの自己満足的思い出話になりましたが、おつきあいいただきありがとうございます。

私の主張は多分に自己中心的で、理想的で根拠もないものが多いですが、これから少しでも叶えていければと思います。


面接トークとかの参考にはならないですよね。もしリクエストがあれば面接応答も答えられる(覚えている)範囲でやります。
「ここアメリカじゃん -太平洋を越えて説明会予約-編」
その2


「すごい脱線してきているぞ」というご指摘を受けてます。たしかに・・・


オハイオにいた20日間は、毎日楽しく過ごしていたんですが、同時にこの時期が実は精神的に一番参っていました。不安もかなりありましたし。
帰国したら即選考始まるけど、そこでうまくいく保証なんてどこにもないですから。

タイトルの通り、クラスの合間をぬってネットで説明会の予約したりしていて、現実に引き戻されたりしていました。今の内定先も実はこのとき1次選考の申し込みしました。


本題に戻ります。

84歳のホストファーザーに会えたことは僕にとって影響が大きかったんです。
毎日大学でクラスを受けていることもよかったですが、おじいちゃんと話している時間がかなり楽しみだったんです。いろんなことを話しました。

僕の英語力がないので、おじいちゃんの話を聞いてるほうが大半ですけど


その日の学校のことを振り返ったり、翌日のクラスのことを予習したり。
おじいちゃんは元教授ということもあって、教育のことを話したりもしました。地域の人たちでつくるコミュニティスクールの話をしたり。

彼は84歳で地域の一員として「人の役に立とう」ということをしていたんです。


すごいありきたりの話ですが、「人生長いんだなー」という当たり前のことを改めて知ったんです。



当時の僕は、自己分析と言ってもそれほど長いスパンで考えていたわけではなかったんです。せいぜい10年後くらいまで。20年後の自分を考えたりしていたわけではなかった。

今、「やりがいのある仕事」とよく言われます。
でも自分のやりたいことが社会に出てすぐできるわけではないんです。きっとやりたくないこともつらいこともある。


でも60年くらいあるんですよね。


自分もそれくらい長い目でやりたいことを実現すればいいんだ。世の中の役に立つ人間になりたい、そう思えるようになりました。

そして

そういう生き方をするにはどうしたらいいんだろう。そう思うようになりました。


じゃあなんでメーカーなんだ?という話ですが、次回に書きたいと思います。


「ここアメリカじゃん -太平洋を越えて説明会予約-編」
その1


というわけでアメリカです。2回にわたってお送りします。
前日まで日本でバリバリ説明会でていたので、到着したあとそのスローな雰囲気に対応するのに時間がかかりました。
でも20日間その雰囲気にいたおかげで、3月中盤から怒濤のスパートをかけることができたわけですが。

準備とかまったくせず英語とか無勉で行きましたね。無謀ですね。
最初の数日間周りで何が起こってるか全く謎でした。


ホームステイ先はなんと84歳のおじいちゃん。
もともと宗教学の教授で、1920年に日本で生まれたというサプライズおじいちゃんでした。

日本語もけっこう話せたんです。
朝出発前に
「マイリマショウカ?」
毎日水戸黄門のテーマがアタマの中をまわりました。

ストリートの日本語しか話せない、なんておじいちゃん言うもんだから、何かと思ったら



「コラー!」




 ・・・ガンコオヤジじゃん!
       さすが1930年代


という感じで楽しく過ごせました。

ホームステイはたまにここにも来てくれるshingoと一緒でした。shingoは僕よりもかなり英語がうまかったんで、彼の話す英語をかなり耳コピして参考にしていました。


僕の英語はかなり怪しかったので、こんなことがありました。

そぼろご飯を作りたくて、みりんを買いにいったんですよね。

みりんは英語でsweet sake


みりんが欲しくておじいちゃんに
僕     「I want sweet sake」

おじいちゃん「ha?」

僕     「sweet sake !」


おじいちゃん「what?」



もどかしくなって思わず


     「みりん!」

と言ったら・・


おじいちゃん「oh! mirinn! sweet sake!」



つ、通じた・・・



このエピソードは衝撃でした。そのあとshingoと爆笑しました。


英語で言って通じなくて、日本語で言ったら通じるって・・・
いまだに、僕の発音が悪すぎなのか、おじいちゃんの耳が遠かったのか謎です。
「メーカーの選考 -就活も中盤なのになんで1ヶ月もアメリカいくの!?-編」です。



今年の年明けから就職活動が本格化していたわけですが、それと同時に進めていたことがあります。
市のプログラムでアメリカ オハイオ州に20日間行けることになったんです。

プログラムの期間は2月半ばから3月まで23日間


けっこう就活中にこんなもの参加するなんてかなり危険ですよね。
かなり迷いましたが、「たぶん大丈夫」だと思っていました。
根拠ゼロです。

しいて言うなら
・1月から2月までがセミナーがかなりの数実施される期間であること
・学部生は倫理憲章の関係で3月の中旬までは選考が無いだろうという予想

あくまで予想でした。この期間にかなりのセミナー逃しました。
ぜんぜんおすすめできません。

出発前日までほとんど毎日セミナーに出ていました。けっこうしんどかったです。



さて肝心のアメリカ行った理由なんですが、このころ日本人って世界の中で何をしたらいいんだろうなーという漠然とした疑問があったんです。

青年海外協力隊に参加しようかと思ってた時期もあって、このぜんぜんフェアじゃない世の中を変えたいという変な意気込みがありました。若いですよね

ただ就職することは決めていました。「やっぱりメーカー志向だな」という思いもありました。
「グローバル企業で海外向けの仕事したい」「日本のものづくりで世界に貢献もできるはず」
でもそう思っているだけで、全部アタマの中だけで考えていて説得力ないし、はっきりとした強い思いで主張できるかと言われたら・・「?」だったんです。

しかも僕は海外経験ゼロ
今時珍しいですよね。

つまり身をもって経験したことのないことを主張できるか不安だったんです。


ということで経験のため、就活中盤にリスクを抱えてアメリカへと飛び立ったのでした。
ああ、タイトルのメーカーの選考に一度も触れなかった!ごめんなさい

次回へ続きます。
次回「うお!ここアメリカじゃん -太平洋を越えて説明会予約-編」

長いですよね。みなさん飽きます?
最近、よく社会人の方から「なんで内定先の会社で働こうと思ったの?」と聞かれることが多いです。

最近就活のカンが鈍ってるところなので、うまく答えられずもどかしいです。


ということで、思いつきですが「メーカーで働く理由、内定先に決めた理由」を書いてみようと思います。内定先は素材メーカーという分類になるのかな?“ものづくり”でいうと川上ですね。書きはじめたら、留年して就職浪人したところから振り返る必要あるのかな、と思い始めたのでそこから書きます。


僕は留年しているんですよね。もともと就職活動を始めたときはメーカーで働くと決めていたわけではなく、だらだら色々な会社をみていました。有名な会社ばかりエントリーしていましたし。
このときは働く理由もなんかほんとに適当で、ダメな学生でした。バスケットのサークルばかり一生懸命やっていて、仕事=サークルに替わってうちこめるものくらいの認識でしかなかったのかもしれません。頭悪すぎですハイ

それでもバスケットという打ち込んだものがあったので、そこそこ選考も進めたし内定もいただけました。でもそこで働きたいかというと、そんなことはありませんでした。
内定者懇親会なんかにも出たんですが、いまいち社員の方とも未来の同期とも馴染めなかったんです。
今思うと馴染もうとしてなかった気もしますけど

そこでかなり悩んだのですが、留年することにしました。
卒業論文出さなかったんですよね。

大学院も受けたんですが、これはカモフラージュのつもりでした。合格後に辞退して留年しました。
年明けになってから両親には報告をしました。
「ザ・仮面留年」格好悪いし、先生方に本当に迷惑をおかけしました。反省しています。

このころ無意味に「俺はそこらのヤツとは違う。普通でいたくないんだー」という思考が空回りして、「社長になってやる!」とか変に意気込んでいました。
今思うとただのバカですけど。傲慢以外のなにものでもないですよね。
普通って何だよお前?みたいな。
「普通でいたくない」なんてみんな思ってますよね。



と、いうわけで

昨年の11月頃から、再び就職活動を始めたんですよね。
このときはセミナーの日程が早い金融から順に回りました。都銀や保険も説明会に行きましたが、きっと自分には合わないと思っていました。
説明会には、銀行、証券、生保と損保、経営コンサル、人材コンサル、商社、メーカー(最終製品)、メーカー(素材・部品)といきました(思いつくのはこれくらいです)。

地方ということもあって「東京に居たら受けられるのになー」と思っていた会社もかなりありましたね。
エントリーは業界別に最低でも5社からそれ以上と決めていました。こうすると、その業界の最大手から中堅、規模の小さめのところまでみることができると考えたからです。

なんか長くなってきてしまいました。
就活終わるまできっと5日くらいかかりますね。ということでシリーズその1終わり。

yansonoさんのブログと似ているなあ。yansonoさん、形式マネさせていただきます。

次回は「メーカーの選考 -就活も中盤なのになんで1ヶ月もアメリカいくの!?-編」をお送りします。
アメリカにいる友達もこのブログみてくれているし、そのときかなり影響うけました。
友達への感謝の気持ちも込めて書きたいと思います。