ここは前回の「小峯北側曲輪」です。

道が続いているので、どこへ行くのか進んでみました!!


そうするとなんか雰囲気の良い渡り廊下(?)がありました。

これを潜って先に進むと。。。


「報徳二宮神社」があります!!

この神社に祀られているのは、みなさんもお馴染みの

「二宮尊徳」さんですヽ(゚◇゚ )ノ!!

小学校の校門などに「二宮金次郎」の像がありましたね!!

あの「二宮」さんですよ('-^*)/!!


神社自体を撮り忘れるという失態(´□`。)。。。


ご参拝して、おみくじを引いたら大吉!!でしたヽ(゜▽、゜)ノバンジャーイ

え~っと。。。どれどれ。。。


願事・・・叶うが限度を超せば破る。

旅行・・・持病に注意。。。

病気・・・保養が必要。。。


。。。。。


調子に乗るな!!と承りました(・∀・)アハハ


あまりの暑さに天守閣内の冷房を期待して登城開始!!

しかし!!


その期待はズタズタに引き裂かれ、冷房はありませんでした(_ _。)。。。

でも開いている窓から吹いてくる風はとても心地よかったです!!


天守閣に付いていた紋は「小田原市」のマークでした。。。

「大久保家の紋」「徳川家の紋」「小田原市のマーク」。。。

いろいろ混在ですな(・ω・)/


天守閣内部は撮影禁止。。。

で、内部で内膳さんとも合流して、

3人で天守閣上からの景色を満喫しました!!


お!!あれは我静岡県かヽ(*'0'*)ツ!!


っと思ったら、

あそこは真鶴半島だから、まだ神奈川県なのです(´・ω・`)。。。

神奈川の海の景色って、本当に綺麗だなぁ。。。


箱根方面に目を向けてみると、遠くに「狼煙(のろし)」みたいなのが!!

ついに豊臣の軍勢が攻めてきたか゛(`ヘ´#)!!

みたいなぁ~(・∀・)アハハ


すぐ下を見下ろせば「八幡山古郭東曲輪」というのが見えます。

ここは豊臣秀吉の軍勢が攻めてきた当時、

「北条氏政」が籠城していた場所とのことです。

今度行ってみようっとo(^▽^)o!!


ってなわけで、天守閣を満喫した一行は、

本丸にあったご飯屋さんでお蕎麦を食べてゆっくりするのでした!!

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
天守閣がある本丸跡まで来ましたが、後ほど合流する内膳さんと登ろう!!
ということになり、未だに修復などされていない石垣を見学することになりました!!
ここは本丸南側の石垣です('-^*)/。

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
昔は立派に立ち並んでいた石垣も、現在は崩れて痛々しい姿を晒しています。。。
兵共も夢の跡な感じで物悲しいですが、とても雰囲気がいいです。。。

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
自重でなのか、当時は高くそびえ立っていたであろう石垣は、
無残にもペシャっています(_ _。)。。。
残念ながら案内板も紹介文もなく静かに存在し続けています。。。

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
北条家時代には関東のお城は石垣作りは上陸していなかったらしいので、
今ある石垣は全て豊臣家に北条家が滅ぼされた後のものですね。

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
崩れた石垣と石垣の間には、青々と雑草が生い茂っています!!
石の一部にはコケまで産しています!!
いつ崩れてしまったのでしょうか。。。

流雲爽空風流記流雲爽空風流記
メタリック青とか赤の生物ではない様な生物を目にしながら本丸石垣を後にし、
近くに見えた薄暗い妖しい場所を見つけたので行ってみました('-^*)/!!

そこは「小峯曲輪北堀」という場所らしく、石垣を使わない土塁と空堀だけの、
まさに「戦国時代の堀o(^▽^)o!!」という感じですね!!

堀の底には「北条流築城術」である「障子堀」があったと考えられています。
「障子堀」と言えば「山中城」ですね!!
山中城にあって、本家の小田原城に障子堀がないわけないですもんね!!

「後北条家」の居城であった「小田原城」!!

あ、「(前)北条家」は群馬の雄の「新田義貞」に滅ぼされ、

鎌倉幕府は滅亡したのです!!


その後、北条早雲が興したのが「後北条家」です!!

(前)北条家と後北条家は系統的に関係ないので、前後と区別されているそうです。


ここは「常盤(ときわ)木橋」の上から見下ろした「本丸東堀」の跡です。

石垣の上に乗せられた木橋なので、

いざという時は橋を落として、門に到達できない様になっていたのでしょう。


ちなみにこの情景は当時からのものではなく、

植木と盛土によって堀を表現したそうです。

うん(^-^*)!!堀っぽい!!


「常盤木橋」を渡ると、そこには「常盤木門」があります。

この写真の手前の石垣の所にも当時は門があって、

その門と現在ある常盤木門で枡形を形成していたのがわかります。


はい!!ここが「常盤木門(ときわぎもん)」です!!

本丸正面の門で、大変堅固に作られています。

現在残るこの門は明治初頭に撮影された写真を参考に、

1971年に完成したそうです!!


門の傍らには当時から松が植えられており、また、

松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、

小田原城が永久不変に繁栄することを願って、「常盤木門」と名付けられたそうです。


この門に付いている紋は徳川家の家紋である「葵の紋」が入っていますね!!


「常盤木門」を過ぎると、それはすぐに見えてきます!!

それとは!!


小田原城天守閣です!!

うん(^-^*)!!やっぱり天守閣は良いо(ж>▽<)y ☆


でもその前に~。。。

周囲を探索です(‐^▽^‐)!!

「銅門(あかがねもん)」の「長屋門(ながやもん)」の小さい入口を突入すると、

そこはやはり枡形に形成された空間!!

入口が小さい為、我が軍勢は勢いを止められる有様!!

これはピンチが危険ですΣ(゚д゚;)!!


大きな「銅門」の「渡櫓門」が堂々と待ち構えています( ̄□ ̄;)!!

周囲には360°鉄砲、弓狭間が覗いていて、

どうあがいても逃げ場がありません(TωT)!!


そんな強固な「銅門」もまだ新しく、

平成9年に復元されたばかりで☆ピカピカ☆です!!

ここの門の屋根に付いているのは「大久保家」の紋が!!

大久保家は北条家が滅亡した後に小田原城を治めました。


「銅門」は小田原城二の丸の表門で、

当時は必ずこの門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣に進んだそうです。


つまり、

赤い橋を渡ると当時の流れに沿えない訳で「渡っちゃダメ!!」言われたわけで。。。


あ、扉などの飾り金具に「銅」を使用していたことから「銅門」って名がつきました。

梁(はり)の素材は立派な松で、柱・扉は檜(ひのき)だそうです!!

豪勢な作りですね!!

中には入れないそうですが、しっかり「石落とし」もついていました。


銅門を突破して横を見てみると、先ほど枡形を形成していた塀が!!

ここに弓を引いている兵や、立ち膝で鉄砲を構えた兵が、

ズラズラズラ~!!っといたわけですね!!


更にテクテク本丸方面に歩いていくと、こんなんが有りました。

これは「銅門土塀模型」です。

どの様にあの塀ができているのか一目瞭然ですね!!


新宿から愛馬を走らせ、うさこさんと共に再び再登城!!

神奈川県にある「小田原城」でございます!!

焔の舞台ってことで、軽くテンション上がります(・∀・)!!


「藤棚」がある小田原城の西側にある駐車場に愛馬を駐車し、

二の丸まで来たところで、うさこさんからの警告!!


「あの赤い橋は観光用だから、あそこから入っちゃダメ(`・ω・´)!!」

!(´Д`;)はい!!


ってことで、「馬出門」から登城いたしました!!

2009年に復元されたばかりとあってピカピカですo(^▽^)o!!


左を見れば、当時二重櫓があったと言われる跡地。

右を見れば、現在の隅櫓がお迎えしてくれました!!

想像するところ。。。


馬出門に達する前にこの二つの櫓からフルボッコ食らい、

何回死んでいるかわかりましぇ~ん(・∀・)アハハ


さぁ!!何も飛んでこなかったし、門も開いていたので難なく突破!!

しかし、目の前には多くの鉄砲狭間(さま)と弓狭間Σ(゚д゚;)!!

またフルボッコ食らいました!!

あの狭間群に向かおうとしても無駄です!!

遮蔽物が全くありませんし、手前には堀が走っているのです!!


この馬出門はダブル「高麗門」でコの字になっていました。

「渡櫓門」よりは防御力には劣りますが、優雅さは負けていませんね!!

門の防御力は狭間の数で補う感じですかね(・∀・)!!


馬出門を突破すると、そこには「馬屋曲輪」があります。

ここは先程の「馬出門」と、次の二の丸への入口である門の間にあるため、

大変重要な位置にあるため、独立した曲輪になっています。

ここで一戦激しく行くわけですかね(゙ `-´)メ(#`ε´#)!!


生き残って次の門に取り掛かろう!!

って思ったときに現れたのは「銅門」の「長屋門」!!

手前には堀が張り巡らさせ、石垣もなかなかに高い!!

狭間も多く口を開き、門も小さい!!

あぁ、またやられたな(´□`。)。。。


飛んで火に入る夏のゴキブリ!!

そんなレベルで小さな門の口に突入いたします(`・ω・´)ゞ!!