今日の散歩おじさん地域の最高気温は「10月中旬並」の23.4℃と、ようやくこの時期らしい気温になりました(^^)
さて今日の記事は東武鉄道の「鐘ヶ淵駅」から都営浅草線の「本所吾妻橋駅」へ向けて歩いた、隅田川沿い「ぶらり」です!

鐘ヶ淵駅の駅前を通る「鐘ヶ淵通り」を北東へ向かって240mほど行くと「墨堤通り」という広い通りの交差点に出まして、その交差点を渡った先に「葛飾北斎案内板」があります!

案内板は「すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎が描いた風景をたどろう」という趣向で、案内板に掲示されている絵に描かれているのは辺り・・・という場所に立てられているのです(^.^)

今回は全ての案内板を巡ったわけではありませんが、案内板巡りの「ぶらり」も面白いかもしれません!
案内板から西へ120mほど進んで「東白髭公園」に入り、園内の高い所に上ると隅田川左岸の堤防の上を走る「首都高速6号線」が見えます(p_q)

・・・と言うことは首都高の向こう側に隅田川が流れているわけですが、残念ながらここからでは川面は見えません(^^;
南の方へ目を転ずれば「梅若伝説」で知られる「木母寺(もくぼじ)」が見えます!

梅若伝説とは・・・
平安時代のこと、京都の貴族の子である梅若丸が、人買いにさらわれ奥州へ連れていかれる途中、この地で病のためわずか12歳という若さで亡くなってしまいます。
その時居合わせた高僧が供養のために柳の木を植えて塚を築きました。
梅若丸の死後1年が経ち、息子を探し求めた母親がようやくここにたどり着き、塚の前で念仏を唱えると梅若丸の亡霊が現れ、悲しみの対面を果たした。
・・・というお話です!
木母寺の境内にある「梅若塚」は伝説を基に再現された物とのこと!

また明治22(1889)年建立の「梅若堂」は、この辺り一帯が焼き尽くされた昭和20(1945)年4月の戦災にも焼失を免れたそうです(@。@)ホホォ~!

なお木母寺が防災拠点内にあることから、木造のお堂をそのままにしておくことが許されず、覆堂内に納められているのだそうです!
梅若塚の隣には幕末から明治にかけて活躍した実業家、田中平八の「天下の糸平」というで~っかい石碑があります( ゚Д゚)

生糸で巨利を得たことから「天下の糸平」と呼ばれたとのことですが、石碑の文字は平八と親交があった伊藤博文が揮毫したのだそうですヨ!
因みに石碑は高さ5.2m、幅3m、重量80tという、都内第一の大きさなのだとか( ゚Д゚)
木母寺の外にある葛飾北斎案内板の絵は「梅若伝説」を題材にしていますが、北斎は時代を江戸時代に置き換え、生前に会えなかった母子を、絵の中では仲睦まじく舟遊びをしている姿に描いているのだそうです!

伝説では母親が狂女になって息子を探し彷徨ったとされていますから、北斎もそれをそのまま描くのは忍びなかったのでしょうかねぇ!?
園内には大きな「纏」のモニュメントがありまして、最初に見た時は「何故ここに纏が?」と思ったのですが、江戸時代の消火活動に使われた纏は「纏が火を消す」とまで言われたことから、避難場所となっている公園の安全をあらわすシンボルとして設置されたのだそうです!

纏のモニュメントのすぐそばには「隅田川神社」があります(^.^)

隅田川神社は隅田川沿いにあるのですが、「東白髭公園」の辺りは「古東海道の隅田宿」で、ちょうど隅田川神社の辺りが渡河地だったとのこと!
社殿のすぐ後ろを首都高が走っていますが、高さがあるせいか車の騒音はほとんど気にせずお参りできますよ(^人^)

隅田川神社の拝殿前にいらっしゃるのは狛犬ならぬ狛亀さんです(^^)

東白髭公園の広場からは、東京スカイツリーが霞んで見えました(p_q)
