昨日「関東甲信が梅雨入りしたとみられる」という発表をした気象庁に義理立てするかの如く、今日も散歩おじさん地域は一日を通して雨でした(^^;
さて記事の方は「いなげ八景」の続きです!
千葉トヨペット本社から並木道を戻り、細長い公園の中を現在の海岸線の方向へ300mほど進みますと、天辺に飛行機の翼のような物を乗せた大きなオブジェクトがありまして、こちらは「いなげ八景」の一つ、日本の民間航空発祥の地を記念する「民間航空記念碑」です
「その一」の記事に書いた通り国道14号線がかつての波打ち際でして、そこから海の方へ向かって歩いて来ていますので、この辺りは埋め立て前の海中と言うことになりますが、遠浅の海だったので潮が引くと広大な干潟だったのだそうです!
砂が締まって固いうえに平らな干潟が飛行機の離着陸に好都合と言うことから、ここに日本初の民間の飛行場が開設され「日本民間航空発祥の地」とされているのです(@。@)ナルホドォ~ッ!
モニュメントの台座に埋め込まれたプレートの文章など読みつつ、ふと気が付けば、なんと「日本民間航空発祥の地」に紙飛行機が落ちていました(^笑^)
「散歩おじさんが置いたんじゃないのぉ~」なんて言われそうですが、決してそんなことはありませんので、念のため!
モニュメントのすぐ横にある松も「飛行機」に縁がある木なのですよ!
どんな縁かというと、「ライト兄弟が初飛行に成功した丘の松の種が、どうして・・・、こうして・・・、最終的にここに植えられた」ということなのですが、散歩おじさんの拙い文章で要約するのは難しいと思い、現地の説明文をそのまま撮ってきましたので、興味がおありの方はお読みください(^^;
日本民間航空発祥の地から国道14号線に戻ると、国道の上り線側、つまりかつての波打ち際に「稲毛浅間神社」の「一の鳥居」があります
この画像は国道沿いから海の方を向いて撮っていますので、こちら側が鳥居の内側と言うことになります(p_-)
外側へ鳥居をくぐって振り向くと、国道14号線を挟んで約80m先に見えるのが「二の鳥居」です(p_q)
国道を渡って「二の鳥居」の所まで来て、さて「稲毛浅間神社」にお参りかと言うとさにあらず・・・( ´艸`)
鳥居の脇の坂道を上り、次なる「いなげ八景」のスポットへと向かいます!
坂を70mほど上ると「いなげ八景」の一つ「千葉市ゆかりの家・いなげ」へ至ります(^^)
建物は大正2(1913)年の建築と推定されるとのことで、100年以上前の建物ですがしっかりした造りなので東日本大震災の時にもほとんど被害が無かったのだそうです(@。@)
ところで突然ですが、「清」の第12代にして最後の皇帝で、後に満州国皇帝になり映画「ラストエンペラー」のモデルにもなった「愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)」という人物のことはご存じでしょうか?
実は溥儀の実弟で日本に留学していた「愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら ふけつ)」という人が、当時の陸軍の強い意向で、日本人の「浩(ひろ)」という女性と結婚し、この家で半年ほど新婚生活を送ったということで、この建物は「愛新覚羅溥傑氏仮寓」としても紹介されているのですよ!
ご想像の通りラストエンペラーの実弟である溥傑は日本の敗戦に伴い戦犯として中国の施設に収容され、二人は16年もの間離れ離れになるなど苦労をしたわけですが、家の中に飾られた溥儀と浩夫人の新婚当時の仲睦まじい写真から、幸せそうな様子が伺えたのが印象的でした!
室内には溥傑ゆかりの「清朝時代の紅釉瓶」や、大陸風の衣装の人形なども飾られていましたよ(p_-)
当時の風景として飾られた写真の中に「稲毛浅間神社」の「一の鳥居」の写真がありましたので↑5枚目の画像と比べてみてください!
鳥居が波に洗われていることからも、国道14号線が波打ち際であったことがお分かりいただけると思います
溥傑が書斎として使用したという「離れ」も見学できますよ(#^.^#)