今日の散歩おじさん地域は雲が多かったものの、雲間から、あるいは薄い雲を通しての日差しがあり、27℃台まで上がりました!
もちろんまだ真夏の猛暑とは違うのですが、ジンワリと暑いですねぇ(;^_^A
さて記事の方は「木下街道(きおろしかいどう)を歩く」の続きです!
「木下(きおろし)」とは千葉県印西市の利根川河畔にある地名でして、現在の木下街道が通る辺りの高台で伐採された「木」を、船で運ぶために利根川の河岸まで「下した」ことが由来の地名だそうで、江戸川の「行徳河岸」から鎌ケ谷を経て、その「木下河岸」に至る街道が「木下街道」なのです!
また江戸時代中期には、銚子沖で獲れた鮮魚をできるだけ短時日で江戸に運ぶため、銚子~利根川(水運)~木下河岸~木下街道(陸路)~行徳河岸~江戸川(水運)~日本橋というルートが整備されたので、木下街道は利根川に向かって下ろされる木とは逆方向に、行徳に向かって鮮魚を運ぶ荷駄も通ったのだそうです!
因みにこの度はかつての行徳河岸の方へ向かって南下しましたから、江戸時代の鮮魚と同じ方向に歩いたことになりますv(。・・。)イエッ♪
鎌ケ谷大仏駅から歩き始めるのに「鎌ケ谷大仏様」にご挨拶しないわけにはいきませんので、みなさんもご一緒にお参りをドウゾ(^人^)
鎌ケ谷宿の住人、福田文右衛門なる人物が祖先の冥福を祈るために建立したという大仏様は、木下街道に向いて座ってらっしゃいますから、木下河岸に下ろされる木や行徳へ向かう鮮魚を積んだ荷駄が行き交う様子を静かに眺められていたのでしょうね!
さていよいよ木下街道を歩き始めますが、ご覧の通りけっして広いとは言えない街道にそれなりの交通量があり、特にこの辺りは新京成線「鎌ケ谷大仏駅」の所の踏切の影響で、渋滞が発生することも少なくありません(^^;
それでも旧道の雰囲気を味わいつつ歩けば、最近ではなかなかお目にかかれない板塀のお宅がありました(@。@)
板塀のお宅のすぐ先にあったこちらの建物は、かつての旅籠「丸屋」だそうです!
旧日光街道を歩いた経験からすると、旧道沿いに古い蔵や商家の建物が残っているのは少なくありませんが、宿屋の建物が残っているのは意外と少ないので、かつての旅籠の建物が残っていたのは興味深かったです(^.^)
旅装を解いた旅人が、窓辺でくつろいでいる光景など想像するのも面白かったですよ(^_-)-☆
参考にしたマップに紹介されていた次なる立ち寄りスポットは、丸屋から200mほど進んだ所にある「延命寺」です!
ご門前にあったこちらの石碑には「安永九」(1780年)の文字が読み取れましたから、お寺の歴史は少なくとも徳川10代将軍「家治」の時代まで遡ることができるようです!
人が写らないように撮った画像を載せますが、墓参の方やメール便配達の方などがいらしたので、お邪魔にならないようにご本堂の外観など見物させていただきました(^^)
延命寺さんからわずか3分ほど進んだ所にあったこちらのお宅は、お寺さんと比べても遜色ないくらいの立派な瓦屋根ですねぇ(@。@)
街道は南に下るにつれて標高も下がりますので、コースは断続的に緩い下り坂です!
もちろん散歩おじさんの好きな「旧道カーブ」もありましたよ(^_-)-☆
・・・えっ? 旧道カーブってナンだって?
一般的にそういう言葉があるわけじゃ無いのですが、バイパスなどの新しく通った道に比べ、旧道には昔からの道筋と思われるこういうカーブが多いので、散歩おじさんが勝手に「旧道カーブ」って呼んでるんですよ(^笑^)