甲斐の猿橋 | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地方は、午前中にある程度の日差しがあって、それなりの気温になりました!

もちろん真夏の暑さとは違いますが、散歩おじさんの感覚としては「地味~に暑くて、ジットリ汗をかいた(;^_^A アセアセ・・・」といった風で、夏の暑さとは違ったうっとうしさがありましたヨ(^^ゞ

さて、散歩おじさんはこの週末、山梨方面に出かけました!

山梨の甲府あたりにちょっとした用事があったのですが、用事自体は短時間で済むものでして、それならば・・・ってことで前後の時間を利用して何ヶ所か見物してきましたので、その様子をご覧くださいv(。・・。)イエッ♪

きょうは大月市にあります「猿橋(さるはし)」から載せますね(^.^)

「甲斐の猿橋」とは、大月市を流れる桂川に架かる橋で、「日本三奇橋」の一つに数えられているのだそうですよ!

まずは橋全体の形が分かる画像からドウゾ(^_-)-☆
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「日本三奇橋」というのは、古くから架かっている橋の中で特に構造的に変わったものとして取り上げられてきたものだそうで、猿橋の他には山口県岩国の錦帯橋、富山県黒部の愛本橋が数えられるそうです(@o@) ホホォ~!

なお、「三大○○」などと言う時にありがちな、「それじゃなくてこっちなんだよ!」という意見として、徳島県にある「かずら橋」や栃木県は日光の「神橋」を「三大」に数える説もあるそうですので、念のため記述しておきます!

話を「甲斐の猿橋」に戻しますが、何故この橋が「奇橋」と呼ばれるかを説明するには、この橋が架かっている地形を説明しなければなりません!

散歩おじさんも現地で納得だったのですが、ここは断崖絶壁の底に川が流れるという、昔からの交通の難所だったのだそうです(-_-;

そんな地形ですから、橋を架けようったって橋脚なんぞは建てられない!

そういう場所に橋を架ける方法としては「吊り橋」が良く使われたのだそうですが、江戸時代には「刎橋(はねばし)」という方法があったのだそうですよw(@o@)w ヘェ~!?

「刎橋(はねばし)」とは岸(猿橋の場合は断崖に穿った岩の穴)から「刎木(はねぎ)」と呼ばれる太い木材を突き出させ、一層目の「刎木」から少し飛びださせた形で二層目の「刎木」を飛びださせ・・・っていうような形で何層か「刎木」を飛びださせて、その上に橋の本体を乗せるという架け方なのだそうです!

↑1枚目の画像で橋のたもとの下に屋根の庇みたいなものが見えますでしょ!?

あの庇のような物の奥に「刎木(はねぎ)」があるのだそうですよ!

「甲斐の猿橋」は四層の「刎木(はねぎ)」で橋を支えているのだそうですが、一番下の「刎木(はねぎ)」は繁った草で見えにくくなっちゃっていたので、その点はご容赦を(^_^;

橋の上部はこんな感じですよ(^^)
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ちなみに今の橋は昭和58(1983)年~59(1984)年にかけての工事で架けかえられたものだそうですが、架けかえにあたっては嘉永4(1851)年に行われた架けかえの際の「出来形帳」というものに基づいたそうですので、現在の橋は江戸時代の姿を残しているのだそうです(^_-)-☆

橋の上からのこういう光景を見れば、ここに「橋脚」などというものが建てられなかったというのも納得です!
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今はすぐ近くに車も通れる橋が架かっているのですが、そこからの「猿橋」はこんな眺めです(^.^)
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そんな「猿橋」の周りをグルリと回ってみた結果、散歩おじさんとしては一番「猿橋」の特徴が見えるのはこんなアングルかな~・・・って思えた画像を最後に載せますね!
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さてさて、まいど散歩おじさんの記事をご覧下さっている方は、きょうの記事の最初の方で「何ヶ所か見物・・・」なんて書きながら「猿橋」だけで終わっていることからもお分かりだと思いますが、ご想像通りに今回は「山梨」連載になりますので、よろしければお付き合いくださいな(^.^)