旧日光街道 古河から野木へ③ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は、雨が心配になる様なものではないものの、一日中雲に覆われました(+_+)

日が暮れてからは月が見えていましたが、予報を見ると東京地方は明日も曇りマークですね~!

さて記事の方は前回に続きまして、古河宿から野木宿を目指して歩きました「旧日光街道」歩きですv(。・・。)イエッ♪
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前回の記事でご紹介した「野木神社」から100mほど歩きますと、「野木」という交差点がありまして、ここが「野木宿」の江戸側の入り口だったのだそうです!
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野木交差点には「野木宿周辺の松並木」という説明板がありました(^^)
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日光街道というと日光市今市辺りの杉並木が有名ですが、この辺りは松並木が整備されていたのだそうです!

そう言えばこれまでの道中でも、中田宿から古河宿の間にあった「中田の松原」を載せたことがあります(^_-)-☆

「駅からハイキング」で歩いた旧東海道でも松並木を見たことがありますが、当時としては松並木の方が一般的だったのでしょうかねぇ(?。?)

野木交差点からすぐの所に国道4号線の64キロポストがありました!
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今の国道4号線は「バイパス」などと称して、町中を直線的な高架で通過する部分もありますから、国道4号線に沿いながらも少し遠周りする部分がある旧道は64kmよりもう少し距離があると思います!?

64キロポストから200mほど進んだ所には本陣があったそうで、本陣跡には「日光道中野木宿」の案内板がありました(*^_^*)
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案内板には旅籠の軒数が「大0、中2、小23」と記されていました!

ちなみに日光道中でも主要な宿場として位置づけられていた古河宿は「大5、中6、小20」だったそうですから、旅籠の数からも宿場の大きさの違いが分かりますね!

こちらは本陣前から撮った画像なのですが、画面左端に写っているのが↑の案内板で・・・つまりそこがかつての本陣でして、道の反対側の看板が見える所が脇本陣だったそうです(@o@)ナルホドォ~
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本陣、脇本陣跡から2分足らず進んだ所にあります「満願寺」さんの前には「十九夜塔」がありました!
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「十九夜塔」と言うのは「月待行事」に由来するのだそうですが・・・

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。

~Wikipediaより~
・・・ということなのだそうです!

「十九夜塔」からさらに3分ほども歩いた交差点の辺りには、江戸から17里目の「野木の一里塚」があったそうです!
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残念ながら今はその形跡すら残っておらず、ただ交差点に面した生垣に「一里塚跡」の案内板があるのみでした(-_-; ザンネン~

地図を見ると、一里塚跡の交差点から50mほど西に寄ったところに弁天様の記載がありましたので、ちょっぴり寄り道して弁天様にもお参りしてきました(*^_^*)
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