旧日光街道 幸手から栗橋へ① | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

散歩おじさんの「ぶらりWalk」

散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は、雲もそれなりにあったので「スッキリ青空」とはいきませんでしたが、日中の気温はそこそこまで上がって過ごし易い一日でした(^^)

さて記事の方は「旧日光街道」歩きです!

「旧日光街道」を歩くのは、「幸手の権現堂」の桜の時期に合わせて「幸手宿」までたどり着いて以来ですので、半年ぶりになります(^^)

今回は幸手から「栗橋宿」、「中田宿」を通過して「古河宿」まで歩いたのですが、まずは「栗橋宿」までの様子をご覧ください!
イメージ 1


画面右に写っているのが「幸手宿」の北にあります「一里塚(12里目)」跡の案内板でして、今回はここから旧街道歩き再開ですv(。・・。)イエッ♪
イメージ 2


歩き始めて間もなく、街道から少し引っ込んだ所に「八幡神社」がありましたので、道中の無事を願ってお参りしました(-人-)
イメージ 3


八幡神社を後に500mほど歩きますと、右手に「権現堂堤」が見えてきます!
イメージ 4
1ヶ月ほど前には、車でここまで来まして「彼岸花」を楽しんだのですが、土手の斜面を覆っていた真っ赤な絨毯はすっかり無くなっていました!

「権現堂堤」は北の端で旧日光街道に接しているのですが、そこに「行幸堤之碑(みゆきづつみのひ)」が建っています!
イメージ 5
江戸時代の前からあった権現堂堤は何度となく洪水に見舞われ、明治時代になって地元の人々が苦労して新権現堂堤を造成したのだそうですが、「新権現堂堤」完成の翌年・・・
・・・(前略)・・・
 明治九年六月に、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られてその労に感じ入り、この仕事に携わった者の名前を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されました。
 人々は大変恐縮し、是非この堤を行幸堤と呼ばせていただきたい「と申し出たところ許可されたということです。
・・・(後略)・・・

~「行幸堤之碑」の説明板より~

「権現堂堤」を後にして渡る川は「中川」です!
イメージ 6
奥に見えるのは「東武線」の鉄橋ですよ(^_^)/

「中川」を渡って20分ほど歩くと、「日光街道の道しるべ」がありました!
イメージ 7
左側面には「左日光道」の文字が見え、こういう物を目にすると旧街道を歩いている気分が高まりますよ(^^)

「道しるべ」の少し先からは、こういう眺めがしばらく続いたのですが、画面右側の土手の上を現在の国道4号線が走っています!
イメージ 8
旧道に沿う様に現在の国道が走るということは、旧道の脇に土盛りして新たな道を作ったということなのでしょうかねぇ!?

歩いた日は良いお天気でしたので、秋の実りと雲の眺めを楽しみつつ歩いていますと・・・
イメージ 9


スズメちゃんが秋のご馳走に舌鼓を打っていましたよ(^O^)
イメージ 10
さてさて、この後もいろいろ見物しながら栗橋宿を目指したのですが、早くもだいぶ画像枚数が多くなりましたので今日のところはこれくらいにしたいと思います!

またまた連載になりますので、よろしかったら続きの記事にも遊びに来てくださいな(^^)