大谷口歴史公園 | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

散歩おじさん地方も、昨日とうとう梅雨入りしましたよ雨

先ほど気象庁のHPを見ましたら関東甲信地方は平年に比べて6日遅れ、昨年と比べると11日遅い梅雨入りの様です(@o@)

同じページにある情報を見ますと、関東甲信地方の梅雨明けは7月20日ごろとなっていますから、一ヶ月ちょっと雨の季節が続くことになりますね(^_^;

さて今日も前回までの本土寺からの続きで、6月12日のサイクリングの記事です

本土寺で花菖蒲や「苔と杉木立の遊歩道」などを楽しんだ後、帰りがけに「大谷口歴史公園」という所に立ち寄りました(^.^)

出かける前に見た地図でもそういう公園があるのは分かっていたのですが、広さもそれほどじゃ無いようでしたし他に寄りたい場所もあったので、立ち寄るとは決めていなかったのです!

ところが本土寺に向かう際にちょこっと見えた入り口の感じがなかなか良さそうだったのと、往きのペースが良くて時間に余裕もあったので寄ってみる事にしましたv(。・・。)イエッ♪

入り口には公園の概要を説明したこんな碑が立っていました!
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碑の上にくっ付いているのは兜の形に彫った石ですよ(^_-)-☆

そもそも寄るか寄らないか確かじゃなかった・・・というよりは寄らない公算の方が大きかったので、どんな公園かも知らずに行っちゃったのですが、↑の碑の説明を読みますと、ここにあった小金城という城の跡を公園に整備したもののようですw(@o@)w

そういえばすぐ近くを走る流山電鉄の駅に「小金城址」という駅があるのですが、公園の名称が「大谷口・・・」なので迂闊にも気が付きませんでした(;^_^A アセアセ・・・

こちらは入ってすぐの所にあった、金杉口という城への入り口の跡です!
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この門は言うまでも無く模擬的に立てられたものですが、雰囲気は伝わりますね(^_-)-☆

小金城はいわゆる平山城(ひらやまじろ)という城に分類されるそうで、すなわち平野にある丘などに築城されたものだそうなんですが、ここも地形は当時のままの様でして、金杉口からは坂をどんどん上って高台に出ましたよ!

一番高い所あった入り口の物よりも大きな碑には、城の詳しい説明と航空写真に城域を記したプレートがはめ込まれていました
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説明に拠りますと小金城は南北約600m、東西約800mに及ぶ県下最大級の中世城郭との事です!

小金城主の高城氏は千葉氏の一族、または千葉氏から別れた原氏の一族といわれているそうです(@o@)ヘェ~ッ!

それにしても、こういう所を訪ねていつも思うのは、「学生の頃、もっとちゃんと歴史を勉強しときゃ良かったな~!」ということ(^O^;タハハッ!

今更言ってもしょうがないことですので、せいぜいこういう機会にちょこっとずつでも勉強するようにしましょう

写真に引かれた線や文字は見えないと思いますが、ちょっと写真の部分だけ大きくしてみますね!
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現在「大谷口歴史公園」になっているのは、矢印の先の黒っぽく見える部分だけなのですが、この写真に写っている大部分が小金城の城域として示されていました目

写真は昭和37年のものだそうで、宅地造成などによって地形が変わっている所もあるでしょうけど、Googleマップなどで見ても、当時の城域が分かるような場所も少なくないようです!

この写真に示された城の輪郭やいくつかの出入り口などを、現在のマップに写し取って巡ってみるのも面白いかもしれませんね(^_-)-☆

園内には発掘調査で掘り出されたいくつかの遺構がありました!

こちらは「畝堀」と呼ばれる、いわゆる空堀の跡だそうです(@o@)ホォ~ッ!
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大多喜城に行った時も堀の説明書きがありましたけど、空堀の方が転落した際に怪我をするので攻め難いそうですね!

加えてこの堀はその名の通り、堀の底が畑の畝のように凸凹になっていたそうで、それにより敵が横方向への移動に難儀しているところを狙い討ちしたのだとかグッド!

この堀では畝は確認できませんでしたが、説明が書かれていた所に、発掘調査後の写真がありましたのでご覧ください!
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たしかに鎧などを着けてここに足を踏み入れたら動き難そうですね(^_^;

しかもこの堀は畝の部分が粘土層なのだそうで、滑りやすいという効果もあったそうです!

もう一つ、公園の北側にも堀がありましたよ!こちらは「障子堀」という名前でした!
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こちらも発掘調査後の写真がありましたのでどうぞ(^.^)
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堀の中にさらに穴を掘って、穴から穴への移動を余儀なくさせて敵の侵入を防ごうと言うわけですね(^_-)-☆

堀の底を加工するのは小田原北条氏の勢力下の城に多く見られるそうで、この城もそうした状況であったことが伺われるそうです!

いやあ~、期待していなかったと言ったら失礼ですが、ぜひとも行こうと思ってたわけでも無い場所で、航空写真への城域の表示など興味深い物も見ることが出来て楽しめました(^^♪

この日は時間的に無理でしたが、機会があれば↑に書いた様に、当時の城域を巡るような「ぶらり」もやってみたいです(^_-)-☆