8月10日。
母が、亡くなりました。
連絡が追いつかなかったみなさん、本当にごめんなさい。
13日にお通夜、14日に告別式を済ませ。
いまもなお、落ち着いたといいながらいろいろやることもあり、
もう、何を書いて何を書かなくていいやらわからない。
そう、嬉しかったことを書こう。
大切な仲間が、連日、本当にたくさん、駆けつけてくれた。
遺影がけっこういい感じだった。
思いのほか親戚がたくさん来てくれた。
お通夜の夜、母にレクを聞かせようと心に決めたところ、
よしきさんが一緒にやってくれることになり、告別式の日に
なると通夜にも来てくれたしんちゃんがいて、急遽お願い
して3人でZykrayati(わが人生)を演奏できた。
みんちょがきた。
晩年きっとずっとさみしかったオカンの、通夜と告別式が、
両日参列してくださった方々で会場いっぱいになった。
吹奏楽団の仲間も来てくれた。
告別式でついに人前で泣いてしまったけど喪主あいさつは
ちゃんとできた。
喉仏が本当に仏様にみえた。
お骨を拾うとき、なんかきれいやなぁと思えた。
亡くなったと知ったとき、ただパニックになった。
それから数日の間、事務作業に追われ、常に人といて、泣けない。
泣くのは、一人で飲むときだけ。
ずっと忙しくて、実感がわかなかったのが、告別式で初めて、
人前でぼろぼろ泣いてしまった。
でも、それが終わり。
自分の家に母を連れ帰り。
妹と二人で初七日法要を済ませ。
終わってみると、今感じる悲しさは、この数日とは比べ物にならない、
激しさのない、空虚な、そして圧倒的な悲しさ。
母から、イヤガラセのような電話が来ない。
携帯の着信に残った「母携帯」が、上書きされてだんだん消えていく。
11月の誕生日に、なにも考えなくていい。
ライブ本番中に何をしでかすか、ハラハラしない。
年末・年始にいつ帰ってくるのかと、ブーブー言われない。
帰省すると出てくる、レトルトのカレーに不満がいえない。
孫の顔を、見せられない。
立派な音楽家になった未来の自分を、見せられない。
一度は行こうと話した、海外旅行に連れて行かなくていい。
焼肉に連れて行かなくていい。
また3万振り込んで、と言われない。
母がいない。オカンが、いない。
激しい涙は、出ない。
ほんの少しにじむ涙と、「空っぽ」。
そして、もう少しなんとかできなかったのか、という後悔。
そして、感謝。
サンペがもっとも尊敬する人が、「感謝」という言葉を、再認識
させてくれた。感謝して、見送れと。
後悔ばかりで苦しんでいる間は、晩年の母とのことしか頭に
浮かばなかった。
感謝という言葉を口にしたとき、これまで30年以上の、覚えている
限りのすべての母との思い出が、よみがえってきた。
感謝!
母は、いやオカンは、いつも、馬鹿で、まっすぐで、やさしかった。
馬鹿で、まっすぐで、やさしい人になりたい。
オカン。ありがとうな。