東日本大震災から4年。
大学2年生、春休み真っ只中の金曜日でした。
友人と赤坂(TBS)に居ました。
「ひみつの嵐ちゃん!」の「マネキンファイブ」というコーナーで
嵐のメンバーのコーディネートを人気投票する企画があったんです。
着いたのが11時頃で、すでに人が多く整理券配布・・・・。
2時頃投票できる整理券をもらいました。
で、時間まで1人カフェで過ごしました。
・・・・なんで一人なの?って!?!?
はい。。
これにはワケがありまして、、
一緒に投票に来た友人とは、数日前にメールにて大喧嘩をしているんです。
詳しく書くと身ばれするので言いませんが。
メールのやり取りだけだと拉致があかないので直接会うことになりました。
住んでいるところが離れていたので都内で待ち合わせをすることに。
お互い都合の良い日が3月11日しかなく、投票期間も1週間くらいしかなかったので
TBSで会うという、わけわかんないことになったのです。
整理券の時間が近づき、TBSに戻り列で待機。
その間、一言も話さず無言のまま時が過ぎました。
3時ごろに投票が終わり、写メなどを撮って地下鉄のほうへ向かいました。
・・・あれ?今日は喧嘩の続きじゃなかったの?
お互いそんな雰囲気が流れ、しばらくして地下鉄の改札前でバトル勃発。
何を言ったか覚えてないけど、自称怒らない(笑)私がブチキレていた記憶があります。
しかし、白熱してきた頃地面がユラユラ・・・
地下鉄のせいかな?と思ったけど、地上に向かって一目散に走る人たち。
我々はわけもわからぬまま、その流れにのって地上へと出ました。
地上に出てやっと地震だとわかりました。
TBSの外にはモニターがあり、番宣の映像が流れています。
緊急事態だからモニターに何か情報が流れるのでは!?と思いましたが
ずーーーーっと番宣が流れていました。
寒かったので局内に入ろうとしましたが、何故か止められて夕方まで外にいました。
その間もずっと番宣が流れていて、機転がきかないなー・・こんな状況で番宣映像とか
なんだか不謹慎だなぁとさえ感じました。
夜になってやっと局内に入れてもらえました。
それまでテレビ局にいながら何の情報も入ってこなかったので、津波のニュースを見て落胆したのを覚えています。
夜は赤坂BRITZが解放され、舞台の上で寝ました。
次の日、実家に帰る電車はまだ止まっているとのことでしたが
動くことを祈りつつとりあえず上野へ。
上野に着くとありえないくらいの人、人、人・・・・。
改札はもはや機能しておらず、suica利用区間は自己申告制となっていました。
13時ごろ地元行きの電車(宇都宮線)が運転再開。いつもは2時間かからず着く道のりを
5時間くらいかけてノロノロ運転でした。
家に帰って、家族が無事だと分かり本当に安心しました。
地元は震度6弱でしばらく停電と断水が続いたそうです。
4月、宮城県の石巻市に行きました。
津波で被災した高校(のちに24時間テレビで松本さんと演奏をした高校)の、
瓦礫の撤去作業をしました。
現場に向かうまでに見たのは、道端に転がる車、看板、自動販売機・・・そして干上がった魚。
悪臭も漂っていました。
石巻は製紙工場があるので、泥を落とす際にペリペリと剥がれるように取れる。
校舎の壁には線が残っていて、1階部分まで津波が来たことを物語っていた。
福島県の白河市に行ったときは瓦礫撤去などではなく、仮設住宅に行って子供たちと
ごはんを作ったり遊んだりしました。
人と接するのが苦手な私は子供と接するのも慣れておらず、他のボランティアスタッフに人が集まっていましたが^^;;;
母は福島の海沿いの生まれ。
でも長いこと故郷には足を運んでいなかった。
「ろんたそや弟が大きくなったら一人で散策してこようかな」と
常々言っていたのですが、原発事故により立ち入り不可となってしまいました。
昨年やっと訪れることができたそうです。
「とにかく田舎だよ~何もないよ~~」とだけ聞きました。
それと去年、叔父が気仙沼に移住しました。
(アメブロもやってます・笑)
元々気仙沼が好きでちょくちょく行っていてました。
新聞社の仕事をしておりカフェ本とか出すたびに送ってくれて
うちに遊びにくるときは美味しいケーキを持ってきてくれるので好きな叔父さんですw
でも新聞社をすっぱりとやめ、一人気仙沼へ。。
自分の好きな土地を復興する気持ちとその実践する行動力、尊敬です。
震災から4年が経ち、当時の出来事はどうしても風化してきています・・
人間、辛い記憶は忘れ行くものなんだと痛感します。
当時のことをたまには振り返り、防災に対して再度意識しなくては。。
気仙沼の叔父さんにもいろいろ話を聞いたりして現地の今を知ることなど
なるべく当時のことを忘れずに、平和に日々を過ごしていることに感謝しながら
毎日を過ごしていきたいです。
被害にあわれた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災地の一日でも早い復興を願います。