名言で綴る日本の歴史、本日のテーマは平将門です。
大河ドラマでいうと1976年放送の『風と雲と虹と』。
天慶2年(西暦939年)坂東(=関東)の平将門と西海(≒瀬戸内海)の藤原純友が相次いで反乱を起こした承平天慶の乱を題材にしています。
資料の乏しい西暦3桁の時代を扱ったのは快挙です。
主演将門役は加藤剛。
平小次郎将門は坂東の国司を次々と襲い、自ら新皇(シンノウ)を名乗り、自分の弟らを各国司に任じます。
教団独自の省庁を設置したオウム真理教を連想させます。
将門は、将門追討を任じられたいとこの平貞盛と藤原秀郷(俵藤太)の連合軍と戦い、流れ矢を顔に受け絶命して、将門の新政権は2か月で終焉を迎えます。
「骸(むくろ)あらば今一度合戦すべし」
京都七条河原の獄門にかけられた将門の首はこう叫んで笑ったといいます。
その首は骸(≒からだ)のある坂東まで飛び、落ちたところが今の千代田区大手町にある将門首塚です。
一流企業の高層ビルの谷間にたたずみます。
出典:NHK
「首が帰る」ということで、左遷や解雇に遭ったサラリーマンの崇敬を集めています。
関東大震災後や終戦直後、この地が整理されようとしましたが、関係者の相次ぐ不審死により中止。祟りが原因とされました。
将門は菅原道真、崇徳上皇と並び、日本三大怨霊と恐れられています。
『風と雲と虹と』のキャスト・スタッフが念入りにお参りしたのは言うまでもありません。
神田明神
また鎌倉時代の14世紀初頭にはやった疫病が将門の祟りと噂されたことから、近くにある神田明神に将門が祀られるようになりました。
「神田」という地名も、将門の「からだ」が訛ったものという説もあります。
神田明神(正式名称神田神社)はアニメショップのメッカ秋葉原に近いためか、今や怨霊伝説はどこへやら、銭形平次もどこへやら、絵馬、御朱印帳などはすごいことになっています。
出典:TokyoWalker
成田山の豆まき
一方、将門の乱がいまだ治まらざるとき、恐怖を感じた朝廷は寛朝大僧正を坂東に遣わし、乱平定を祈願させます。祈祷の結果?乱は終結します。
こうして建てられたお寺が成田山新勝寺です。
新勝寺の節分会は毎年有名で、その年の朝ドラや大河ドラマの主要キャストが招かれ、豆をまいてにぎわいます。
2020年の節分会での「麒麟がくる」メンバー 出典:毎日新聞
ところが1976年の豆まきには『風と雲と虹と』のメンバーはいませんでした。さすがに。
5年前に私と奉拝友達は新勝寺にお参りに行きましたが、その時神田明神の御朱印帳に新勝寺の御朱印をお願いしている人がいました。
神田明神と新勝寺の関係を全く知らない人でしょうか?
あるいは知っていて、どういう反応を示すか試すためにわざと出した人でしょうか?いやがらせ?
御朱印はその寺社の由来をきちんと調べてからお願いしましょう。
武蔵と小次郎
将門は劇中ではほとんど通称の「小次郎」で登場します。
もう一人の主人公藤原純友(緒形拳)には武蔵(太地喜和子)と呼ばれる深い仲の女性がおりました。
本屋で『武蔵と小次郎』という本が目に留まりました。
武蔵は純友だけではなく、将門とも深い仲だったのか。
と思いましたが、良く見ると『巌流島-武蔵と小次郎』で、宮本武蔵と佐々木小次郎のことでした。
深い仲ではなくて、深い因縁でした。