引き続き古関裕而作曲の早慶の応援歌紹介です。

その1とその3で早慶対抗歌合戦を紹介しましたが、今回は、日ごろライバル意識を飛ばし合っている早慶両校の学生が肩を組み、同時に同じ歌を歌うというまことに白々しい曲です。

 

早慶讃歌『花の早慶戦

昭和43年 作詞 藤浦洸 作曲 古関裕而

一、たたえよう 声高らかに

 輝く英知の青空を

 若き生命(いのち)の太陽を

 おお旺(さか)んなる若人の時

 情熱ここに燃えさかる

 おお花の早慶戦

 熱き心の若人われら

 レッツゴー

二、歌おうよ 命の限り

 城北の森は緑濃く

 城南の丘清き

 おおさわやかな若人の歌

 二つの校旗あざやかに

 おお花の早慶戦

 熱き心の若人われら

 レッツゴー

 おお花の早慶戦

 熱き心の若人われら

 レッツゴー

 

「花の早慶戦」を指揮する古関裕而(FLASH)

早慶戦の試合開始前のセレモニーで、早慶一斉に歌われます。

戦時中の最後の早慶戦の終了後に、両校が『海ゆかば』を合唱した名残でしょうか。

藤浦洸は『我ぞ覇者』を初め、慶應の応援歌をいくつか作詞しています。

でもこの歌の歌詞はピンときません。

 

口語と文語が入り乱れています。

たたえよう」と口語で始まって、続いて「」とか「」の文語とか。

1番の「さわやか」に対して2番の「旺んなる」とか。

 

「花の早慶戦」

どうせなら「の」がふさわしかった。

「花の」だとどうしても「嗚呼!!花の・・・」を連想してしまいます。

慶應側では早戦等は言わずに戦といいますが、慶應の塾生に「早慶戦」と歌わせて良いのでしょうか?

 

「城北の森」 「城南の丘」

皇居(江戸城)を境に北の早稲田、南の慶應。それはわかります。

慶應の応援歌には「城南健児」とかありますが、早稲田で「城北」という形容はありません。

せめて「西北の森」にしてほしいです。

(5/24夜追記)早稲田の応援歌『大地をふみて』に「城北の森」という歌詞がありました。すみません。

慶應では三田のキャンパスについて、「三田の山」「三田の台」「三田山上」などが歌詞に出てきますが、おもしろいことに

「三田の丘」という表現はありません。

塾歌には地名が一切出ず、「この丘」「丘の上」としかありません。

慶應のキャンパスは三田も日吉もほんとに山です。

「早稲田の森」とよくいいますが、どこに木が生えているのやら。

 

「風清き」

「清」が文語になるにしても、なぜ終止形の「清」でなく、連体形の「清」なのか?

 

「二つの校旗

早稲田では校旗といいますが、慶應では塾旗といいます。

まあ広い意味で校旗だと思いますが。

「二つ」は2種類という意味でしょうか?

武田塾

このように内野応援席で2本、外野応援席で2本、早慶で計8本聳えることも少なくないです。

塾旗は通称三色旗です。が、赤と青(紫?)の2色しかありません。

ペンの黄色を含めて3色なのでしょうか?

 

「レッツゴー」

文語も混じる歌の最後になぜ英語が出てくるのでしょう?

しかも超日常語の「レッツゴー」とは。

この部分の旋律も単純で中途半端です。

 

我ぞ覇者』と『ひかる青雲』で早慶応援合戦を繰り広げてから20年もたっているので、藤浦の歌詞も古関のメロディも勢いが衰えたと言わざるを得ません。残念です。

 

2015年の早慶戦ではこのポスターが話題になりました。ナイス。

ああ、例年は今頃早慶戦なんだけどな。