行間を読む事をしない(読めない)若者が増えているのだという。
まあ、最近では若者に限らないのであろうが、私はこの原因を急速に発展したインターネット技術によるものと考えている。
💌和歌→手紙→メール→sns
🎞紙芝居→フィルム映画→TV→YouTube
📺ラジオ→レコード→カセットテープ→CD→ネット配信
この変遷を見ても分かるように、便利になるほど情報量が劇的に増える一方で、相手からの返答スピードや考察時間をすっ飛ばした答え合わせの時間が待てなくなっているのが明白である。
つまり行間に込められた作り手(発信元)の想いを考える事なく、字面や絵面を額面通りに受け取ってしまうという本当の面白さを半分も味わえていない勿体無さたるや。ファスト映画、ドラマ・映画の早送り視聴、LINEなどのメッセージツールの短文化などは、もはや行間という意味さえ無効にしてしまった。
郷ひろみは♫会えない時間が愛育てるのさ〜♪と『よろしく哀愁』で歌っているし、池上彰氏はとある女子大学の講演会で「答えをすぐに教えてもらうのではなく、まずは自分の頭で考える習慣を作りましょう」と学生に語りかけたという。
「行間」とはなんぞや?
見えないから、会えないから、分からないからこその、それを知りたいと思う強い欲求を芽生えさせてくれる大切なものなのだと私は感じている。