大船渡高校の佐々木投手を登板させなかった件について、学校にはクレームの電話が鳴り響き、サンデーモーニングの張本勲氏とシカゴ・カブスのダルビッシュ有選手の双方が、球数制限などを発端とした高校球児の在り方に関して場外乱闘を繰り広げるという大騒動に発展した。
さて、人それぞれに様々な意見があるのは大変有意義な事であるし正解は良く分からないと思うことを前置きした上で、私が最近感じている事を書いてみよう。
まずこの話は誰が主語になるかによって様相が異なってくると考えられる。現役またはOBの高校球児、プロ野球選手が主語になって語られる場合、自身の経験から甲子園の夏に賭ける想いやその経験から賛否は分かれて当然だと思う。逆に甲子園に行くどころか野球をやってさえいない甲子園好きな人々(前者に比べて圧倒的な人数)は「熱闘甲子園のドラマ」に感動したいのであり、はっきり言ってその後プロ野球やメジャーリーグでどんな活躍をするかどうかには余り重きを置いていない。つまり毎年の夏の甲子園こそが物語の終わりなのだ。同世代で同じ高校に入って練習に汗を流し、一発勝負の都道府県大会を勝ち抜いて甲子園の大観衆からスポットライトが当たるという体験は、後のプロ野球人生でも味わう事はなかったよ…と、天理高校出身の私の義兄もお酒を飲んだ時にはいつも話していたから、実は経験者の皆様も同じ気持ちなのではないかと推測する。
このことから、甲子園で活躍するということはアマチュアスポーツの最高峰であり、お金とは無関係の誇りや称号を手に入れられる究極の自己肯定が出来る空間なのだ。そしてそれを視聴する大多数の甲子園好きの皆様は、甲子園で燃え尽きる姿を心から熱望している。つまりプレーする方も観る方も、続編の製作を考えて今を生きていない。そこにこそ刹那の美しさがあると私は考えるのである。
張本氏の表現の中で選手が怪我をするのは当たり前…という内容があったが、それはやはりマズイだろう。関係者は怪我が無いように最善を尽くさなければならない。また、ダルビッシュ選手の肘の消耗を抑えるべきというプロ野球(メジャー)予備軍的な発言も熱闘甲子園を熱望する観衆の心にははっきり言って刺さらない。次の、来週の、来シーズンの試合に備えて球数を制限する…それは負けても明日があるプロ選手の論理だ。高校球児は負ければ明日は来ない。だから今を一生懸命にプレーする。一塁への全力疾走などに野球未経験の人々でさえも魅了するのだ。
場外乱闘は、本当の意味での場外(者)にあたる「野球をやっていない甲子園好き」によって議論されるべきと今年の夏は思うのであった。