今日和、五月雨薫です。
ここ一週間ぐらいビックリするぐらい調子が悪く、物もろくに食べられずフラフラしてます。
個展の為に2ヶ月ほどお休みを頂いていたモデルの仕事も、先週着衣の案件から復帰しまして、今週末にはヌードも入ってくるんですが、かなしいかな、ここにきて結構痩せてしまいました。
(あたしは絵を描く傍ら美術モデルのお仕事をしています/絵画教室や美術大学などで絵を描く人たちの為に、ポーズをとったまま一定時間制止するお仕事です)
個展が終わり次第身の回りの整理をして、目に見えるものから見えないものまで色々と廃棄する予定でいたのですが、結局それに全く手をつけれていない状態なので、それがまずいような気がしています。
早いところ解毒をしていかないと、身体がどんどん駄目になってしまいそうな感覚。
今とても大きな次の流れが来ていること、新しいエネルギーが入ってきていることを感じているので、要らないものは早々に出してしまわないと、もう目詰まりしてグチャグチャです。
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今月の24日から始まる「ダークアリス展」の出展作品を制作している最中ですが、こういう状態なので自己の頭の整理も兼ねまして、あたしなりに絵を描くということについて真面目な話を書こうかと思います。
前から書こう書こうと思っていたのですが、今が良いかなあと思いました。
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あたしはいま現在、絵を描く際に色鉛筆のみで全て仕上げるというスタンスをとっています。
これは「子供でも使えるもので、どれだけ格好良いことが出来るか」という、個人的な挑戦によるものです。
絵を描いているということ自体が、どこかしらマイノリティーな印象を孕む現代の日本社会において、それをどれだけ身近なものとして感じてもらえるか。
本来アートというのは生活に溢れているものですが、それを感じる「余裕という名の豊かさ」が現代は欠如しています。
どうしても「油絵をやっている」などというと、それだけで「なんか凄そう」とか「自分には縁のない世界のもの」というふうになりがちで、「パソコンで描いてます」などと言えば、「やっぱり今はイラストソフトが扱えるのがプロなのか」とか、「そういう高いソフトがないと絵は描けないのか」などと思われがちです。
そうした中で、あたしが誰でも実感を伴って理解できる色鉛筆というもので絵を描くことで、「特別な道具などなくっても、大してお金などなくっても、格好良いこと、ワクワクドキドキすることは出来るのだ」ということを証明したい。
これがあたしが色鉛筆にこだわっている一番の理由です。
あたしが中学生の頃、漫画家の人はコピックというマーカーでを描いているということを知り、コピックが欲しいと父にねだったのですが買ってもらえませんでした。その時に、
「漫画家の人は何でもない絵の具とかでしっかりした絵が描けるから、そういう道具を使っても良い絵が描けるんだ。漫画家の人と同じものを使ったからって、同じように絵が描けると思うな。」
「お前が今持ってる絵の具だのなんだので、ちゃんとした絵が描けるようになったら買ってやるよ。」
と言われたのですね。
「そうか、確かにそうだな」と思った当時のあたしは、すでに自分の持っているもので真面目に絵を描くことにしました。
最初は「いつかコピック買ってもらうぞー」と思って描いてましたが、そんなものは必要ではないということに次第に気が付き、絵の具と色鉛筆で絵を描くようになりました。
高校にあがると休み時間にも絵を描き進めたいばかりに、絵の具を使う工程も端折り、自然に色鉛筆のみを使った制作を開始し、本気でを絵を描こうと決めた20歳頃、完全に色鉛筆のみというスタイルに落ち着きました。
無いものを言い訳にしない。
環境を言い訳にしない。
他者から与えられなかったことを言い訳にしない。
どんな時でもやるやつはやるし、やらないやつはやらないのです。
あたしは極度の面倒くさがりやなので、気軽に出して気軽にしまえて、水や筆など出さなくてもそれだけで使える、という利便性が好きだということはありますが、それだけであればここまでやってこなかっただろうなと思います。
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解らない人にはさっぱり解ってもらえないことなのでしょうが、一部の人間にとって世の中というものは大変生き辛いものですから、何かしら生きていく為の手段というものが必要になってきます。
そういう生きていく為の手段を手にすることが出来ず、どれだけの人間が傷付き、最悪の場合死を選んでいることでしょうか。
今の日本社会ではそういうことを教えてくれる大人があまりにも少なく、みんなが同じように、平均的な様相で生活できることが美徳とされています。
あたしは「何にもやりたいことないし、出来ることもないし」と思っていた人に、あたしの色鉛筆で描かれた絵を見て、
「色鉛筆でこんなことが出来るのか」
「それだったら、もしかしたら自分にも出来るかもしれない」
と、思って欲しいのです。
そういう「はっ」とするような驚きやトキメキ。あたしは絵を見てくれた人の横顔にそれを感じた時が、一番嬉しい。
そしてふっと、「明日、色鉛筆買って帰ろうかな」と、思って欲しいのです。
そうすれば明日、一つでもやりたいことが出来るでしょう。
明日一日でもいい、明日一日を、とにかく生き抜いて欲しいのです。
あたしが活動を通して提供したいのは「未来」です。
絵という媒体を使ってはいますが、本当にあたしがそれを通して提供したいのは絵という目に見える物体ではなく、生きていたいと思える「明日」なのです。
あたしにはたまたま絵をというかたちをとっていますが、これは絵描きではなくても誰にでもできることです。
あなたのできる事で、誰かの明日を作ることが出来ます。
そういう仕事の仕方、働き方、いのちの燃やし方を、人生を通してあなたも是非して下さい。
あたしは気が付けばこの歳になり、冷静に考えてつくづく思うことですが、あたしから絵を描いているというアイデンティティを取り上げられてしまえば、ただの社会不適合者なのです。
しかし、上手く世の中と折り合いがつけられないという人生の中で、あたしは幸運にも絵という生きる手段を手にした幸せな女なのです。
なんだかんだと言いながら描かせてくれる環境があり、好きだといってくれる人たちがいる。
あたしはどうしようもなく、ラッキーな女なのでしょう。
そんな色々な幸運に生かされているあたしに何ができるのかということを考えた時、やはりただ絵を描いていくということしかなく、それが誰かの力になれば良い。
中学生の時、息の詰まりそうな授業中、下敷きに挟んだ大好きな絵をずっと眺めて過ごした、あたしからのエールです。
あたしの絵を愛してくれる人たちにとって、あたしの絵が生きる手段となってくれることを心から祈っています。
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最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
こういった想いで、五月雨はこれからも絵を描いていきます。
愛を込めて。