10月25日。術後1日目。
もう術後1日は充分過ぎたように思うんだけど、まだこの日が1日目。
深夜勤のNさんがやって来たとき、痛み止めの追加をお願いした。
「カチって押すやつ(PCA)とどっちがよく効きますか?」と問われ、
やっぱり点滴の方が頼もしかったので、というか追加して欲しかったので
「点滴の方が効くように思います」と伝える。
ほか、この日は上の階の部屋で工事をするらしく、10時~12時の間、ビス留めや穴開けの音がすると伝えられる。
また、昨日妻が帰った後に部屋の蛍光灯がキレたが、それも午前中に交換に来るという。
本来、術後1日くらいは絶飲食と伝えられていたが、昨日の日勤さんが先生に聞いてくれて昨夜21時過ぎからは水だけなら口にしていいことになった。昨夜はTさんにストロー付きカップにペットボトルの水を入れてもらってベッド前の台に置いてもらった。2度ほどお願いして口まで運んでもらった。この日の朝は「アルギンなんとか」というスポーツ飲料の100cc紙パック。
ちなみに、この時点での私は、尿管&尿道カテーテル(細いのと太いの2本)、左手甲に点滴、右手にはPCAのボタンを握り、左脇腹からドレン&それを受ける保冷剤みたいなパッケージ、右人差し指に酸素量用のクリップ、を着けた状態。また、足には弾性ストッキングとマッサージ機が装着されている。
深夜、日中を問わず、1時間に1回は看護師さんが様子を見に来る。熱を測り血圧と酸素量をチェックし、カテーテル末端につけられている袋から尿を処理してくれている。
この日の日勤はYさん。術後1日なのでものすごくお世話になりました。
午前中に「ちょっとベッド上げて見ましょうか」と言われ、されるがままに45度程度に上げられる。敷き布団から滑り落ちそう。でも、視界が広がる。ストロー付きコップも自分で取れる位置に。ああ、もう水だけ飲めればそれでいいや。午前中に下履きをT字帯から持参のパンツに着替えさせてもらえた。そして持参のタオルを使って体も拭いてもらう。これらは、手術前に「手術翌日の肌着やタオルは他の荷物と別にしておいてください。」と言われたものを使って。そのとき、初めて自分の手術した部分を少し目にした。おへその左側にいろいろとあるようだ。ほか、横隔膜あたりにマジックで書いたらしき線が脇腹にかけて1本、途中で別れてもう1本。拭いてもらえたのは上半身の手術創が無い箇所、およびドレン等が挿ってない場所のみだが、そこそこ時間がかかった。上の階の工事も始まりにぎやか。
などしているうちに妻到着。連日すんません。
「起きてるやん」と一言。
この日も主治医のK先生、B先生、女医のC先生が
「痛みはどうですか」「傷痕診ます」「ドレン見せて下さい」
などいろいろチェックして下さる。
で皆さん「傷痕はきれいですよ。」「(排液も)特に問題ないですよ」と言って下さる。
午前中に右手のクリップ外していただく。それでも右手をじっとさせていたら、Yさんに
「サムさん、もう右手には何にも着いてませんよ」
あっそうか。それと同時に右後ろにあったモニターも撤去。
ちなみに、この日は夕方、まだ妻が居る時に
「回診です」と声がかかり
私は診てもらったことがない先生がやはりお着き3人くらいで入って来る。
お着きに「ステイタスは?」
着いていたK先生「ベッド上安静です」
みたいな会話が交わされてたよいな気がします。いや、素人の私には分からないもっと専門的な話だったかも知れないけど。私には
「順調に快復に向かってますからね。大丈夫ですよ」
みたいなことを言って去って行かれました。すごく貫禄のある先生だったので妻は
「テレビと一緒や。(何の?)。この病院の院長さんやろ」と興奮気味。
なんでそんな人が来るの?科のHPで何度も見覚えのある准教授のL先生ですよ。
昼御飯は朝と同じく、アルギンなんとかというスポーツ飲料の100ccパックが二つと出汁のみの澄まし汁。まだ右手しか伸ばせないし、ベッド上安静なので、自分のスプーンとか取れないのに、どうやって飲むの?結局、スポーツ飲料を100ccともう少し飲んだけど、ストローが外しにくいこと。Yさんも「あれ?上手く開かない」って言ってたくらい。弱っている手術明けの人用の飲料としてそこはど~なんだ。一つのチェックポイントだったガスが13時過ぎにでる。
妻は雑誌を読んだりテレビを見たり。テレビがある頭床台は私が寝ているベッドのすぐ左側にあるので、普通の状態でも観ようとすると首をひねらなければならない。ましてやベッド上安静の身。私は時折チラッと観るくらい。別にあまり興味がないのでそれでよし。昼3時頃、2時間ほどかけて兄が仕事の合間に来てくれる。
「順調そうで安心した」と。
医師がそう言っているだけで、私にはよくわからない。まあ、術後まる1日で普通に喋っていることが「順調」なのかな。
30分程で兄が帰りストロー付きコップを頭床台に置いてくれて6時頃妻が出て行ったここからが長かった。
まず、準夜勤の看護師さんに
「もうPCAの痛み止めがないみたいなので代わりを」と日勤さんに頼んでいたが来ないので、再度リクエストしたが、
「先生とも相談したけど、あまり効果がないなら止めれるものは止めた方がいいので」と言われ、
「え~、じゃあ朝の発言取消します!」
と言えるはずも無く。すぐあとに回診に来たK先生にも同じことを言われました。あ~、あんな朦朧としてるときの発言を根拠にされるとは。K先生には切ったほうの左腎を押さえつけるような姿勢(横向けの寝相)はあまりとらない方がいい、と言われそれもプレッシャーに。
でもこの日、麻酔の効果は確実に薄れていったと思うのだが、実際には痛みはひりひりとかピリピリといった感じで、ズキズキ痛むとか唸るような痛みというほどでは無かったと思う。
それよりも、「今は大丈夫だけど、このあともっと違う痛みが来たらどうしよう」なんて心配ばかりしていたように思う。
さらに、一人になって、
テレビ(日本シリーズ)は観る気にならないし、
アルギンなんとかは飽きたし、
明日は季節外れの高温(最高気温25度超え)になると聞いてるし、
マッサージ機うっとうしいし(昨夜から手のひら返し)、
弾性ストッキングいつまで履き続けるんだ、
腰痛い、お尻痛い
とわがまま&心細さマックスに。「暑い」「うっとうしい」と何度も口にしてました。途中ナースコールでアイスノンも持って来てもらったけど、熱いのはここじゃない、足なんだ(看護師さんには直接言ってません。でも顔や態度には出てたかも)。結局は術前の日と同じ睡眠剤を貰って落ち着きました。
本当にあの夜はわがままでした。自分では飲料や寝具を取りに行けないから、ここに置いたらもう変えられない、あとからこうしたくなったらどうしよう、等不安ばかりが先走っていたような気がします。逆に普段、王様のように振る舞ってるつもりは無いけど(物理的な妻との関係上不可能)、いつでも変えられる、いつでも修正できる、という安心感がいかに大切か、痛感しました。
本当に不自由(と言っても私の場合、コールを押せば来て貰える)なのと、いつでも抜け出す手段のあるちょっとした拘束との違いは大きいなあと実感。不意に避難生活を強いられて普段使いなれている物を持てない、取りに行くこともできない各地の被災者の方の苦しさの一片を学んだのかな、と思う体験でした。