手術終了。
手術前と同じ、騒然と手術着のスタッフが動き回る中でぼんやり目覚める。騒然とはしてるけど、なんか皆さん次々とスイッチ類をオフっている感じ。
「終わったんだ」と感じる。
「サムさ~ん」とか名前を呼ばれた記憶もない。
ただ、ヘソの上から右側にかけてヒリヒリして、「あ~、ここ切ったんだなあ」と感じたくらい。(なぜ「右側」が気になったのか、自分でも不思議です。ビビり性のなせる業か?)
「このまま病室に戻りますね」
と言われストレッチャーごとEVに乗せられて病棟へ。時計は午後3時前で、言われていたとうり5時間くらいの手術だったのだろう。EVに乗る前に頭の上で
「電話してるけど繋がらないの」
という会話が聞こえてくる。妻のことらしい。どうしたんだろう。でも、病室に着いた時には居たんじゃないかな。「よいしょ」みたいな感じで私が病室のベッド移された時には姿があったから。
右手人差し指に酸素量用のクリップ、腕には血圧測るカフ、点滴台もベッドの右に、いろいろなグラフを出すモニターが右後に。
左は手の甲に点滴。ほかにPCAという患者が自分でスイッチを押せる痛みどめのボタンを右手に握らせてもらっていたが、その針がどこに入っていたのか覚えていない。(たぶん右のどこかかな?)
ほか、尿道、尿管の2本のカテーテル、左には手術創の一つを使って挿し込んであるドレーンがあるはずだが、感覚が無い。
ふくらはぎには血栓予防のマッサージ器が着けられ、片足づつシュコー、シュコーと揉んでいる。
「うまいこといったって先生が言うてたよ」と妻が言ってくる。
「ああ」とか「そうか」とか言ったつもりだけど、何て聞こえていたか。
他の病院で母が手術をしたときにはスタッフの方がしつこいくらい
「お名前言えますか~」って声を掛けてたけどそんなのはなかった。
夕方になって準夜勤のTさんに替ったのもおぼろげ。病室に戻ってから妻が家に帰るまで、3時間くらい付いていてくれたのだろう。私は眠ったり目を覚ましたりしていたと思う。
「切り取ったやつ見せられたで」
「何色?黒かった?」
「ううん、何か黄色っぽかった。まさか見せられるって思てなかったからちょっと焦った」
などという会話を交わしたことを覚えている。
帰り際、「よく頑張ったよ」とアタマぽんぽんして出ていったことも。(彼氏か!)
その後、何度もTさんが血圧や酸素量など確認しに来る。
また、青い術着を身に着けた主治医のB先生、K先生、初めてお目にかかる女医のC先生(退院するまで私は心の中で「主治医群」と呼んでいた。みなさん若い先生だけど、大学病院だけあって人材は豊富だなあと感じた。)もかわるがわる様子を確認しに来られる。
「傷は痛いですか?」と聞かれるが、正直よくわからない。でも「痛くない」と言うと放置されそうで、
「ヘソの上がヒリヒリします」と言ってたような気が。
時折、「ちょっとおヘソの右が痛いです」
と言って「へっ?」って顔をされてしまう。
「傷あと見ます」と言われ手術着をはだけ、
「ちょっと触りますね」と言われ傷がない胸から肩にかけて押さえられ、K先生には下腹部から睾丸(精巣)にかけても触られる。空気が入っていないかどうかの確認で、手術時にガスで体内を膨らましている影響で、胸やお腹は空気が1週間程度残る、精巣は逆に空気が入っていると腫れてしまうのであまり好ましくない、とのこと(術前説明より)。幸い麻酔の合併症も無く、
「うん、傷あともきれいですね」
と言われるが寝たきりの私にはわからない。
また、7時頃だったか「術後回診です」という声とともに、P教授が入って来た。そう言えば手術室では見なかったというか、この人が手術室に来た時点でもう意識なかったんだなあ。
「うまく取ることができましたよ」と言われ、
かすれ声で「ありがとうございました。」と言ったつもり。
うん、と頷いてお着きの二人ほどの先生と出ていかれた、と記憶している。
その後も主治医群の各先生、そしてTさんが何回か来たと思う。
「痛み止め要りますか?」と問われれば、
全部「はい」って言ってた。「痛みが強くなったら押して下さい」と言われてたPCAのボタンも気がついたら押していたと思う。(実際には一度押したら20分たたないと薬は入らない。)
夜中も明け方もすべてうつらうつら。足元ではマッサージ機がシュコーシュコー。こいつが俺を血栓から守ってくれてると考え、何かマッサージ機に守られてるような気分でその音を聴く。寝返りが打てない、とか仰向けで寝るのが苦手、という手術前の不安は思い出すこともなく、寝たり起きたりしていた。
また、確かこの日の夜だったと思うけど、ポータブルのレントゲン機がやってきて、無理矢理背中の下に板をひいて撮影されたと思う。手術の記念に1枚?
ともかく、ぼ~、としているうちに術後16時間くらいが過ぎていきました。