ドリカム



「眼鏡越しの空」


いつか書かねばと思っていたけど
どうしてドリカムのことを書こうとすると筆が重いんだろう。

自分でもうまく説明できる自信がない。
とても複雑な気持ちなのだ。
好きなんだけどなぁ...
大好きな曲もたくさんあるんだけどなぁ...

いつもそう思うのだが
すんなりとドリカムに向き合えない。
ライブに行ったら絶対に号泣する自信もある。
(でも行ったことがない。)
ワンダーランドはすごい人気だし、行ってみたいライブの一つだ。
(でも行ったらアウェー感満載なんだろうなぁ。)


ウダウダ書いてますけども
どうしても歯切れが悪くなってしまう。
初めて「うれしい!たのしい!大好き!」を
聴いた時の感動、今でもはっきりと覚えている。
いわば初恋の味なのだ。

そこから年齢と経験を重ね、手練手管を覚え(笑)
駆け引きし、だんだんと汚れていく自分。
それを一方で成長と呼ぶかもしれない。
「私が神様だったらこんな世界は作らなかった」
とはチャットモンチーの歌詞である。

「うれしい...」の時のドリカムの弾けるような
躍動感は僕の中ではどか遠くへ、遠くへ行ってしまった。
作品の中だけの世界に没頭したいのだけれど

3人が2人になり、海外へ行って出戻りし、麻薬での逮捕あり、死別あり再婚あり...本音を言えば、楽曲に集中したいのに。


どうしても雑音が入ってきてしまうような、耳をふさぎたくなる気持ちがファンにもあっただろう。

騙し切って欲しかった…これ、本音。

初恋は淡く、透明感があって、甘酸っぱい。

ドリカムに重なる思いはもしかしたら「老い」への
自分との闘いなのかもしれない。

とにかく思いつくまま書き始めよう。
迷走するかもしれないけど、その迷走が僕の中でのドリカム論であることだけは確かだ。われ思う、故に我あり。

ドリカムの功績について。
「同性に対する想い」を歌ったこと。
男女間のラブソングではなく「同性への想い」を歌ったことだ。「未来予想図」「すき」も大好きだけど、彼らのココイチにはあげない。
僕の中では「眼鏡越しの空」「サンキュ」なのだ。

吉田美和が歌う「眼鏡越しの空」を聴いた時、
まず思春期の「無垢さ」を恐ろしく綺麗に切り取っているなと感心した。
ユーミン以降でようやく出てきた才能。
全てをユーミンが背負っていたものを日本人アーティストでは初めて別の人が背負う。そう感じた。

ユーミンの真似事ではなく、吉田美和という一人の女性の独自の世界が既に大きく広がり、花開いていた。もしユーミンにインタビューできるなら
この曲をユーミンはどう思う?と質問してみたくなる。

「眼鏡越しの空」

作詞作曲:吉田美和

大嫌いだった眼鏡外せない この何日も
気を隠すにも ちゃんと見るにも 都合がいい
あなたの夢を見た朝 なぜか少し泣けた
さえない私を思ったら 少し泣けた

短い髪 しゃんとした後ろ姿 思い出すたび
あなたのようになれたらと憧れる
図書館で借りた空の写真集 背表紙に
強くてきれいなあなたの名前がある





琴線に触れる言葉達が随所に散りばめられている。
これが女性への思いを歌っているのか男性に向けた歌なのかファンの間でも議論が分かれるというが
僕の中では瞬時に答えが出ていた。
情景がここまで頭に浮かんでくる曲を僕はユーミンと吉田美和以外で見つけることができない。

女子高の図書館の隅に眼鏡をかけたさえない私がいる。金曜日の午後、授業が終わった冬の寒い日、
この温かい図書館にはいつも私一人だ。
色々なことに思いを馳せる。そんな妄想癖が嫌悪感でもある。卒業して都会の大学に進むか、この土地で就職するのか。やりたいことはたくさんあっても
全てに手が届かないとも思う日もあるし、駅までの自転車をこぎながら、全部を否定している自分があまりに愚かだとふと気づくこともある。
でも夜になるといつもそこは堂々巡りになる。
勝手なストーリーが浮かんでくる。

大嫌いなのは眼鏡じゃなくこんな自分
ガラスの奥で叫んでみても誰も気づかない
防御壁の役ばかりでごめん やってみるね
私をきちんと見せてくれる レンズに変える


吉田美和には「当時」豊かな才能があった。
話は少しそれるが、尾崎豊の「15の夜」のある歌詞に彼の才能が凝縮されている、という記事を読んだことがある。

誰にも縛られたくないと逃げ込んだ この夜に
自由になれた気がした 15の夜

「自由になれた気がした」のである。
これが「自由になれた」ではなく「気がした」と書いた若き日の尾崎。僕がいつもブログで書いている名曲認定の仕組みが動き出す場面だ。
それを僕は「時差のマジック」と呼んでいる。

曲を聴いているとそれが現在進行形なのか、過去を振り返ってずっと後に書いているのか分からなくなることを「時差のマジック」と呼んでいる。そこが深みを生み、独特の「切なさ」を醸造する。

その後、尾崎が書いた「Driving All Night」と比較したい。15の夜(1983年)のわずか2年後の作品である。

さまようように家路をたどり 
冷たい部屋に転がり込む
脱ぎ捨てたコートを押しのけ 
ヒーターにしがみついた
この部屋にいることすら 
俺をいらつかせるけど
疲れをまとい 床にへばりつき眠った

ちっぽけな日々がありあまる壁から逃れるように
町へ飛び出すと冷え切った風に取り残されちまった
街角の白い外套がとても優しかった
負けないでってささやくあの子のように見えた

尾崎の歌詞からは平面的な、二次元的な説明しか受けない。「時差のマジック」が消えていた。
もちろんこの2曲の比較はその例えの象徴に過ぎない。尾崎が意識していたのかどうかも今となっては分からない。もちろん才能が枯渇したと言っているのでもない。ただ彼の中で何かが狂い始め、違和感が生まれた。そういう「壊れの序章」が始まっていたと僕は思う。若きカリスマは潜在意識でそれに気付き、悩み、荒れたのかもしれない。それは尾崎がデビューしてプロになり、作品作りの締め切りや
旅から旅へのライブ生活、プロモーション等に追われるようになったことと無関係ではないだろう。そしてそれをコントロールできるほど尾崎はまだ成熟してもいなかった。わずか26歳で尾崎は人生を閉じた。

泣けてくるので
「眼鏡越しの空」の歌詞の後半へ

短い髪 しゃんとした後ろ姿 思い出すたび
あなたのようになれたらと憧れる
机に置かれたままの写真集
背表紙の三日月だけがそんな私知ってる

あたなのようになれたらと憧れる
その想いが力をくれる
あなたのようになれたらと憧れる
その想いが力をくれる




↓メガネ越しの空
この頃の吉田美和は本当に凄い!click!
眼鏡越しの空

↓オザキ〜!
尾崎豊 ドライビングオールナイト アナログ盤




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