高校生になって

中学校の時に仲の良かった女の子と渋谷で待ち合わせた。

当時はカフェバーブームであり、高校生のくせに

カフェバーでデートするのが流行っていた。酒もタバコも

当然ながらみんなやっていた。昔は世間も寛容だったのだ。

渋谷には多くのカフェバーがあった。HUBとかが人気だった。

暗い穴倉のような店内は大人の雰囲気が充満していて

まだ咳き込みながらタバコをふかし、前日に買った

一張羅のボーダーシャツでキメて、色々話し込んでいたら

結局終電が無くなった。

僕らにはこの展開を分かっていた部分もあるし

全然、分かっていなかったとも言える。

ぼんやりとした期待感と

ぼんやりとした背徳感とがザラザラした感情として織り交ざった。

仕方ないのでお互いの実家にみえみえの言い訳の電話を入れて

今日は帰れないと伝えた。彼女は席をはずしてかなり長く

電話をしていた。急にドキドキした。

とりあえず店を出た。外は雨上がりの夜空だった。

僕らは散々迷った挙句に道玄坂のホテルに向かうしかなかった。


ちょうどいい料金のちょうどいいプチホテル的なラブホの前に

たどり着いた僕らは、でも中に入る勇気がなくて

ホテルの前で30分ぐらいウロウロした。

ホテルの前を行ったり来たりして

人通りが切れた一瞬のタイミングに勇気を振り絞って転がり込んだ。


品のない原色のネオンが光ってるカウンターの横のボードで

部屋を指定する仕組みも分からず、フロントの人に聞いたりして

何とかタバコ臭い小さな部屋に通された。

生まれて初めてのラブホテルだった。


今日の展開の何の準備もなかった僕らはただただ狼狽えて

仕方なく小さなベッドに横になった。

無理やり捻り出した中学校時代のどうでもいい笑い話もネタが切れて

僕らは黙って天井全面に設置されている大きな鏡を見つめていた。


ベットの横に大学ノートが一冊置いてあった。

ここに来た様々なカップルが思い思いにノートに書き込んでいく。

今思えばかなり悪趣味なこんなイベントも僕らには新鮮だった。

彼女がおもむろにペンを取って何か書き出した。

僕は見ないふりをしていた。隣の部屋から笑い声が聞こえた気がした。


話し疲れた僕らは電気を消し、寝ているのか寝ていないのか

分からないような妙にぼーっと間延びした夜を過ごし

結局、何もないまま明けてしまった。


朝、部屋を出る時、彼女がおもむろにノートを僕に見せた。


何するにせよ そっと耳元で語ろう

例えば言葉がなくても心は

素敵な期待など持てるこの頃

LET ME TRY TO BE BACK TO THIS PLACE ANYWAY

LET ME TRY TO BE BACK TO THIS PLACE ANYWAY



サザンの「シャララ」の歌詞だった。


女誰しも男ほど弱かないわ 乱れた暮らしで口説かれても嫌

横浜じゃトラディッショルな彼のが

LET ME TRY TO BE BACK TO THIS PLACE ANYWAY

LET ME TRY TO BE BACK TO THIS PLACE ANYWAY



彼女が話し出した。今の高校の先輩と付き合っていること。

その先輩ともこんなところに来たことはないこと。

一晩中、彼のことを考えて葛藤していたこと。

最後の文章は

あなたのことが頭にちらついてシャララ

だった。


太陽が登り切った朝の道玄坂のラブホの前で僕らは別れた。

彼女がハンバーガーショップのバイトに間に合わなくなりそうで

直接このまま行くね、と言っていた気がする。

既に蒸し暑く蜃気楼の立ちそうなアスファルトは下水の匂いがした。

ピンク色の彼女のスカートが角を曲がって見えなくなった時

無性に自宅に帰りたくなった。


以後、一度も彼女と会っていない。

もう30年も前の話だけど

不思議とその時の彼女の癖のある丸文字で書かれた

「シャララ」という文字の残像だけはっきりと記憶している。

もう彼女の顔も思い出せないのに。


記憶とは不思議なものだ。








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