清志郎のたくさんの曲の中でも、特に自分なりに思いのある曲について書きたい。まずはこの曲。
おそらく好きな人も多いだろう。
「いいことばかりはありゃしない」
ロックに大変貌を遂げた新生RCは1980年に伝説の久保講堂ライブを成功させた。いよいよ乗りに乗ってきたRCのブレイク期、同年1980年発売のアルバム「Please」に収録されている一曲。
日本音楽界がRCに席巻され始めたこの年に発表された勝負のアルバムにこの曲を収録するセンスが
天才・清志郎の真骨頂だと思う。
1980年当時、まだ11歳だった僕はもちろんリアルタイムでこのアルバムを聴いてはいない。数年後、中学生になって「Please」は僕らの間でバイブルのようになり、初めて「いいことばかりはありゃしない」を聴くわけだが、当時は全く違和感はなかった。暗い曲だな、ってぐらいのものだった。
そもそも歌詞の意味も深みも分かっていないし、
月光仮面が来ない意味もチンプンカンプンだったからね。それでも何となく僕らはこの曲の持つ独特の世界観に惹かれた。ご当地演歌でもここまで巧妙に地名が入り込んだ曲はない。まあ、サザンの茅ヶ崎ぐらいのものだ。
「新宿駅のベンチでウトウト、吉祥寺あたりでゲロを吐いて♪」
まだ行った事がない吉祥寺という地名を地図で調べたりした。地理の勉強じゃ開いたこともない地図を僕らは熱心に覗き込んだ。
そっかぁ。。。中央線沿線なんだ。
昔に比べりゃ、金も入るし
ちょっとは幸せそうに見えるのさ
だけど忘れた時にへまをして
ついてないぜと苦笑い
清志郎の死後、またRCを聴き出して一番心に響いたのがこの歌詞である。学生の時にはよく分からなかった。世の中って本当にその通りだよな。
少ない言葉数で端的に、情景を切り取る。
最終電車でこの街に着いた
背中丸めて帰り道
何も変わっちゃいないことに
気がついて
坂の途中で立ち止まる
歳を重ねて1980年に中学生だった僕らは40代の半ばになった。あの頃の同級生達は今、この歌詞をどう感じるだろうか。最後に「またね」と言って別れたのは確か卒業して数年後の同窓会だったな。
随分と年月が流れた。
いいことばかりで
笑ってりゃ うらめうらめで泣きっ面
笑い飛ばすしかないこの人生。
泣き笑いしながら生きている。
この曲のサビはわずか3行の短いセンテンスで構成されている。
金が欲しくて
働いて
眠るだけ
真実はさもありなん。
清志郎、ありがとう。
↓清志郎のお葬式にて、僕の撮影。
(後記)
清志郎のデビュー30周年だったか35周年だったかの記念ライブ、チャボが一人で登場し、弾き語りで演ったのもこの曲。このバージョンは後世に残る名演奏の一つと言っていい。ロッキンオンの渋谷陽一がこのコンサートを観に来ていて、何かのインタビューで
チャボの歌うこの曲を聴いて、久しぶりに泣いたと書いていた。ずっと清志郎やRCと一緒に歩んだ人だ。だから泣けたんだと思う。
↓バンドマン、歌ってよ♪