GWも今日で終わりですね〜〜(^O^)
今、渋滞にはまっているみなさま、
お疲れ様です。

今晩
駒ヶ根市カラーセラピー

kokokara
心        色

あなたの人生、
家族をまるっとサポートおねがい

子供の心の体に敏感なセラピストかーちゃん
「ライフトレジャーカウンセリング」

トコトコ幸せはやって来た❣️
TOKOさんのブログにようこそ(^O^☆♪


昨日はイベントに出展、
外に出ながら、ギックリ腰をみなさんに気遣ってもらい、ヒトの温かさな、心、ウルウル💦

「おたがいさま」

って言葉がずっと響いていました。

本当に、「おかげさまでした






さて、今日のブログのテーマは、

「今更ですが、
余り語らなかった自分の生い立ち
           




自己紹介ブログ」

です。


私は、この山間で生まれ育ちました。



見渡す限り、山🏔でしょ〜〜


ここで、小学校5年まで11年間暮らしました。
私が居た時は、13軒だけの小さな地区です。

今は、3軒だけ…

車の音もなく、人にも会わず…

ここに居た時を思い出すと
まだまだ、あどけない自分に会えました。

私の家族は6人家族で三人兄弟の一番上!
長女

TOKOさんが産まれた日は、
父がヘリコプター🚁で駆けつけた…

(おもろい父ちゃん

と、自慢げに言っていたからTOKOさん.本気で
18歳になるまで信じていたんだよね。

ウチの父ちゃん。凄いって

母は、美人で若い!

大人になってから一緒に買い物に行くと
「姉妹」に間違われて、自慢よりも母に嫉妬していた。

私は、老けて見えていて
24歳なんだけど40歳近くに
見えていて、母の隣に並ぶのがやだったなショボーン


2個下の弟…私の敵
ケンカばかりしていた。

10歳下の弟…私をお姉ちゃんではなく、
親戚のおばさん扱い



おばあちゃんは、長野市戸隠生まれで
おじいちゃんと結婚してこの、家に嫁いで来た。

おじいちゃんは警察官。
凄く厳格な性格で、父達は6人兄弟だけど、転勤族だから、それぞれ産まれた場所が違っていました。


おじいちゃんの兄弟達が大勢いて、
小姑たちの面倒も見ながらだから
苦労したけど、

おじいちゃんは、勤務中に見張り台から転落。
下半身不随…
父が5歳のときに亡くなり
女手一つで、父6人兄弟を養って来た時に、力になってくれていたから、親戚への気持ちや心遣いは丁寧に、そして、それは今も父が引き継いでいます。

父達は.戦後間も無くの出来事だったから、
お金がない時、
みんなと同じような生活ができなかった事や
おばあちゃんがさせてあげれなかった事をよく、話を聞きました。

でも、父達は、おばあちゃんをすごく、すごく大切にしていました。


さて、話が飛びましたね。




私が小学校の時は

この下にある地区に住んでいた同級生は、4人。
みんな、女の子。

そして、私の家の地区では、
同級生達が住んでいた場所から離れていたから、

私を含め、同じくらいの歳の子供たちは、
弟を入れて
5人だけ…

それも、小学校3年生になるまで
、知らなかった…同じ地区に子供がいる事を…

その子達とは、保育園も一緒だったのにね。


その話を、先日、母にしたらビックリ⁉️した顔をしてました。



あとは、ひとまわり以上大きい歳のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが居たかな…

今でも、45過ぎた私が60近いおじいちゃんになっているかつてのお兄ちゃんを

つい、

「〇〇お兄ちゃん」
「〇〇お姉ちゃん」

の愛称で呼ぶと旦那が

「歳、いくつだよ!」

と、切り返してくる。

でも、私にとってはいつまでも
何歳になっても

「〇〇お兄ちゃん」
「〇〇お姉ちゃん」      なんだよ。



保育園は、車で🚘弟のお友達お父さんが迎えに来てくれました。

運転してくれていたおじさん、ズラだったの。

だから、いつも、後ろからとっては怒られた😅



小学校はスクールバス🚌

車がないと通えなかった。


⓵私のつまずき…勉強が出来ない

小学校に入るときに、事前調査が行われ、算数の簡単なテスト…適正テストを受けました。

でも、
出来なくて、
お母さんにそれが言えなくて…褒めてもらえない。私はバカなんだ…と泣いて帰った覚えがあります。

そして、入学式翌日から4日ほど

「腹痛」で休みました。

病院には、父とおばあちゃんが付いて行ってくれました。


小学校にあがってから、2年間は、一人で
上の写真の坂を歩いていました。
1、5キロメートルは片道あった。

そうすると、心配しておばあちゃんが迎えに来てくれていました、

そして、私の放課後遊ぶ場所は、
おばあちゃんのお友達(^O^)うち。


だから、おばあちゃんがお茶を飲みにご近所に行く時は、必ず私が大好きな
「奈良漬」を用意して待っていてくれた事を思い出します。



②私のつまずき…人とのコミュニケーションが取りづらい


これだけ、山に囲まれているから、いつも、私は
「妄想」してました。

月に1回、父はお買い物や食事に連れて行ってくれました。

(普段は。バスを改装した移動販売者「ひまわり号」が来ていて、色々買えました。)


でも、まだ位置関係がわからないから

あの山を越えると「ビル🏙🏙🌆」がそびえ立つ都会が待っていると(^O^☆♪

子供心に思いっきり妄想していました。

でも、現実は違うよね。
今ならわかるんだけどな…


星が綺麗で、

水は、山水!

水道の蛇口をひねればでるんだけど、
葉っぱがたまに入っていたんだよね。

でも、天然の山水は美味しい

四季折々がはっきりした場所。


地区の隣近所との助け合いがなければ暮らしていけない場所です。

大人になってから、この場所に行くと
いい場所で育ったなと思います。
が、

でも、
今ならわかります。

コミュニケーションの大切さが…

大人になってからつまずきが、尾を引いています。


人との関わり方が
幼少期の過ごし方が
大人になってからもいかに大切かという事…

小学校5年生の秋、
11月に私はお隣の市に引っ越しました。


そこからは、大変でしたね。
「人生の重さが私の強み」

と言えるのかはわかりませんが、
自分がいかに気が小さくて、
敏感で、自分に自信がなくて


井の中の蛙が大きなところに出た時の
驚き、衝撃が
心の敏感さゆえに色々感じてしまっていた…


中学に入ると、
病気を発症…それも、原因不明


今日は、ここまで.(^▽^;)


帰りは、車の燃料ランプがついて、大慌て

ガソスタがないんです。



ここで育った貴重な時間。

人生で起きたことは、点と点ではなくて、実は、線で繋がって今がある,


私の思い出にお付き合いいただきありがとうございました。

今夜もお読みいただきありがとうございます😊


おやすみなさい💤😴