小田和正 TOUR2005 大阪冬の陣 その6 「え?これが、『羅生門』??」の段 | 思い入れ★ホームシアター★日記

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わ~い。ついに我が家にホームシアターが・・
6.1ch 80インチスクリーン。
その驚きの臨場感!!近所の皆さんごめんなさい。m(_ _)m

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東寺の南大門を出て、大通りを5分程歩くと、
『羅城門址』という碑がある。
ここは、芥川龍之介の有名な小説「羅生門」の舞台と
なった場所である。
かねてから興味のあったこの場所を訪れることが
できた。
 『或る日の暮方の事である。一人の下人が
  羅生門の下で雨やみを待っていた。』
平安後期、国内の荒廃に連れて平安京南部の
治安は悪化の一途をたどり、洛南の羅城門周辺は
夜ともなれば誰も近付かぬ荒れた一画となっていた
そうだ。

しかし、その羅城門もかつては、平安京の正門で、
朱雀大路の南端に北端の朱雀門と相対して建って
いた楼門であった。
石碑の隣りの立て札には、
『嘉承三年(1107)正月、山陰地方に源義親を討伐した
平正盛は、京中男女の盛大な歓迎の中からこの門を
威風堂々と帰還している・・』
との記述がある。
羅城門は、平安京の正門であると同時に、戦いを終えた
勇者を迎えるいわば凱旋門でもあったようである。
だが、現在の羅城門は、礎石一つ残らず、大通りに面した
小さな公園に一本の石碑と立て札が残るのみ。
そこからは、夜な夜な出没しては、死人の髪の毛を抜く
老婆の姿も、勇者を迎える群衆の歓喜の声も全く想像する
事ができない。
立て札によれば、羅城門は、正面十丈六尺(約32m)、
奥行き二丈六尺(約8m)、門は二層からなり、屋上の棟
には、金色の鴟尾が輝いていたということである。
その場に立ち、32mという壮大な朱塗りの楼門を思い
浮かべる。
同時に、あたり一体死体の山となっている荒れ果てた門を
もイメージしてみる。
そして、現在の姿・・。
まさに盛者必衰。
その時代に思いを馳せれば馳せるほど、何だか、背筋が
寒くなってくる。
京都という街の歴史の深さは、今も姿を残す神社仏閣よりも、
こういう場所でこそ、思い入ることが多い。