こんにちは、メグミです。
調子どうですか?
今日のお題は『偉大なる私』です。
先日、瞑想をしている時に降りてきたインスピレーションがありました。
グレイト・サムシングという言い方がありますが、
あれの本質はこれなんじゃないか。って。
グレイト・ミー
いつものあの磁場で、分からされたことは、こういうことでした。
『すべてなるものの創造主へコマンドします』って、
なんか自然に言ってしまっているけど、
創造主は『私』
私がすべても創り出している。
でも「すべてなるものの創造主へ」とコマンドする時、
なんだか『創造主』と「私」が切り離されている感じ。
なんとなく『社長』と「私」みたいな感じで、私の「上」に誰かいる感じ。
二つの個性を切り離して、上司にお願いしている感じがあるなぁ。って。
コマンドを発信する「あの磁場」では、すべてが溶けだして、
自分も溶けだして、境目がない感じがするのに。
『でもグレイト・ミーって結局
ハイヤーセルフじゃないの?』と、よぎりました。
降りてきたインスピレーションは、こうでした。
ハイヤーセルフは、自分の理想形。
今の自分を高めると、辿り着く形。
グレイトミーは、すべてを内包している。
私であり、あなたであり、すべて。同時にそれが存在している。
『でも、それじゃあ、創造主でもいいんじゃないの?』笑
この質問を自分にした時、わかったことがあります。
すべてなるものの創造主には「私」というエッセンスが
あるはずなのに、その言葉によってそれがなくなっているような
錯覚に陥る場合がある。
グレイト・ミーという解釈があると、すでに自分がそこに存在しているので
おさまりが良い感じがする。
単純な言い回しなんだけど、
自分がすべてなんだという感じがしっくりきます。
すべてを創造して、それを観察しているのも
グレイト・ミー
最近、コマンド時には、グレイト・ミーを使っています。
読んでくださってありがとうございました。