こんにちは、メグミです。

元気してますか?ニコニコ

ブログに遊びに来てくださって、ありがとうございます。

 

今日のテーマは「常識」です。

 

常識。

普通。

 

使いますよね。

でもこれって、なんだろう(笑)

 

なんの役に立つんだろう。

 

ある日そう思って、これ、手放しました。

 

 

17歳で、初めてフランスに夏季語学学校に来て。

今まで、自分がフツーって思ってたことが、ひっくり返りました(笑)

 

南仏のニースだったんだけど。夏場のニース大学。

 

「なんでトップレスの人が、こんなにたくさんいるのお!?びっくりアセアセ」って(笑)

;

いるだけじゃなくて、何の問題もなさげに、隣の人とか友人らしい男性とかと

おしゃべりしてるんです。

 

17歳。思春期まっただなかですよ(笑)

本当に、びっくりした。

 

それだけでなくて、同じグループの、私より10歳くらい年上の日本人のお姉さんが、

それをやりだしたの!!!!!

 

鼻血でそうだった(笑)

国が違えば、常識って変わるんです。いとも簡単に。

 

隣の人の常識と自分、家族と自分だって、もしかしたら違うかもしれません。

 

子供の頃、ちょっと拗ねたところがあって

「結局、フツーフツーってなんなの?何がいいわけ?えー

って聞くたびに思っていたのが、ここで、ダメ押しだったんです。

 

うちの家庭事情がイレギュラーだったのもあって

実父は、お妾さんって言われる人が何人もいて、

そっちにも家庭があって子供がいて、

その他にもまだ愛人さんがいて。(どんだけよ・笑)

 

だからうちには、本当に時々顔を見せに帰ってくる人で。

まさに一夫多妻制度やってました。

日本で(笑)

 

(父方だと私7人兄弟姉妹の長女ってことになります・笑

 多分今でも、私の存在を知らない弟や妹はいるかも)

 

母も「でもNO1だから」と言いつつ、そんな生活に疲れたのか、

別の男の人と暮らし始めることにしたらしく。

子供を一緒に連れて行こうとして、じいばあに反対されたらしいです。

 

私は、その、母が行く日。 

『妹だけは連れてけよショボーンって思ってました。

だって、5歳だよ~? ママがトイレに立っても着いてっちゃうような子をさぁ。

 

でも結果、私と妹は母方のじいばあに育てられました。

5年間くらいかな。私が7歳から小学校卒業するまで。

その間、父母共に不在で連絡がほぼ取れない状態でした。

(まあ、父は常にそんなんだったので、あまり変わりがないといえば、なかったかも・笑)

いつくらいだったか、母と電話だけはできるようになりました。

後半は、会いに来てくれたり。

 

 

余談だけど、実父の夢は

「ダーッとよー、長いテーブルでよー。全部のおれの女と子供たち並べてよー。

メシ食いたいんだよなぁ」って(笑)

是非、(面白そうだから)私は、やってほしいけど、他のメンバーはどうなんかなぁ(笑)

それに正妻だった二人は空の上やんね。虹

 

私、実父のこと好きなんです。

面白いおっちゃんだなあ。って。妙な安心感持ってる人で。やたらとハグするおっちゃんで(笑)

油断すると関西弁になります。

養父のパパのことも大好きです。「威厳はないけど、機嫌はいいパパじゃん俺」

って自分で言う人で(笑)

ママしか笑わないおやぢギャグが冴えてる人で(笑)ホントに怒らない。超優しい。

 

ちなみに、この二人。ほぼほぼ兄弟のような関係です。(変な奴ら・笑)

 

今でこそ離婚て、それほど珍しいことではなくなったのかもだけど、昔の田舎町。

 

学校で言われるわけですね。

 

「なんで、メグちゃんちってお父さんとお母さんいないの?普通じゃないよね」って(笑)

授業参観も、叔母が来たり、おばあちゃんやおじいちゃんが来たりで、そこを

突っつかれるわけです。(大好きな人たちを突っつかれるのは嫌だしさ。

でも全く私の力の及ばない大人事情のせいで、自分が突っつかれるのも腑に落ちない。)

当時とか7歳児だし(笑)

 

妹が5歳で、すごく勝手に「守らなくちゃ」って思ってたし。

 

ガキのくだらない戯言とか聞いてる余裕ないんだよ! むかつきって(笑・自分も子供なのに)

そんなんで、多分「普通」に対して

「私を除外するもの」

「私を否定するもの」

「私の土台を否定するもの」って、なっちゃってたのもあったのかもしれません。

 

だから多分「そもそも私はフツーじゃないし、フツーになれないし」って

拗ねてたんだと思います。(笑)

 

 

やだ、今日の話暗い?(笑)

 

 

でも、この土台が、宇宙の法則とかやると「ああ、フツーってないんだぁ」って解るんです。

いらないんだ。って。

 

本当に、ないの。

 

現実って、自分が創り出してるだけだから。

 

自分に必要なネタを持ってきて、ドリルみたいにやってたりとか

自分を霊的に成長させるためのツールに過ぎないんです。

現実って。

 

自分側変えたら、いくらでも、どんなふうにでも創り変えられる。

 

~でなければいけない。

 

~が普通。

 

~が常識。

 

特に今の時代、これからの時代、邪魔になると個人的には思っています。

 

なぜかっていうと、

 

 

自分を苦しめるから。

 

 

嬉しくもなければ、楽しくもない。

私の波動じゃないから、幸せから遠ざかるんです。

 

 

それを持っていることで、自分が自分をがんじがらめにしちゃう。

 

父母ってこういうもの。

 

妻や夫ってこういうもの。

 

会社ってこういうもの。

 

社会ってこういうもの。

 

大人ってこういうもの。

 

「縛り」が何を妨げるかというと、願望実現です。

 

縛り→「自分の思い込み」って、言い換えてもいいかもです。

 

 

何かを限定することによって、自分の本来の波動が引き寄せることが出来る、

最高最善安心安全に豊かな何か。それが、私たちの人生にやってくるのを妨げています。

 

 

残念じゃないですか?

 

 

これを外すいい言葉をバシャールが言ってましたね。

 

「SO WHAT !」(だから何?)

 

読んでくださって、ありがとうございました。