まるいあたまをしかくにしたら
わるいこころもましになるのかな
物事の物差しは自分であるべきだと思うよ。
というか、それが普通、当たり前。
自分で決めるの。
何事に対しても自分の価値観、自分の考えがあって、それに基づいて動くのが、普通。
でも、それを捩曲げるのは色恋で。
お互いがお互いの物差しで、周りなんか関係なくて。
私たち二人だけ居れば良い、みたいなセカイ系が、周りに多いんだけど、大学生ってそういうもの?
高校時代のほうがよっぽど大人、というかまともな恋愛をしていたと思うんやけど。
セカイ系ならセカイ系で自分たちの世界に閉じこもっててくれれば良いのに。
大学生だけが、手にしているものは「時間の自由」らしい。
今までみたいに学校に強制的に登校しなくても良いし、遅刻しても怒られない。
社会人は社会人で、また時間に拘束されるようになる。
大学生は自分で時間を決めて使える。
自由時間は本当にすきなことをして良い。
すきなだけ、彼氏に費やして良い。
自由時間だから、色恋に溺れても誰も何も言わない。
自分で時間を決められる、ということは、時間に対する気構えが緩くなる。
そしてそうなると、規則に対する気構えが緩くなるひとも居るだろう。
規則に対する気構えが緩くなれば、決められたことに対する気構えが緩くなるということだから、もはや、自分で決めたものなんて守れやしない。
自分で決めるものが曖昧なら、「自分」というアイデンティティも曖昧でしかない。
つまり、自分なりの価値観なんてないんだろうね。
そんなのない癖に、外界と関わろうとする。
そして、理解されない、と嘆く。
当たり前やん。
はっきりしない、フニャフニャした物差しを振りかざされたところで、社会には通用しない。
そんなひとに、「自分を持て!」と、いくら叫んだところで、どれだけ伝わるんかな?
どれだけ叫んだところで、そうやって「自由」を拘束しようとしてるものなんて、「障害」でしかなくて。
煩わしいものでしかなくて。
叫べば叫べぶほど、セカイ系は更に「自由」を求めて外界は排除されるんじゃないかな。
そして、更にセカイ系のセカイが深まる。
もう、違うモノとして見るしかないんかな。