前回の続きです。
いよいよ?本格的にうつ病が発症します。
そんな状態が1年半年くらい続いたあと。
ある日突然、本当に突然、体が動かなくなった。
夜眠れなくて、明け方ようやくうとうとし始めて、やっと眠って・・・。
気が付いたら、枕もとでケータイが鳴っている。
鳴り止んだと思ったらまた鳴り始める。
あ、病棟から着信だ・・・。
そう思うけど体は全然動かなくて、着信音とともに点滅するケータイをただぼんやり眺めていました。
数時間後(?)、玄関がガンガン叩かれチャイムも連打されている音に気がついた。
相変わらず体は動かないし、いま振り返ると頭も動いてなかった。
あぁ、なんか玄関を叩いている音がする・・・みたいな感覚。
そのあとは、どうなってそうなったのかわからないけど、部屋に同期と副師長、救命に異動した先輩が入ってきて、大声でワタシの名前を呼んでいる。
部屋、汚いのに・・・、恥ずかしいな・・・。
そんなことをぼんやり考えながら、ワタシは自分が働く病院へ運ばれて行きました。
ストレス反応性うつ病(重度)、胃潰瘍、過労。
精神科のドクターから渡された診断書の病名欄にはそう書かれていました。
あぁ、そういえばずっと胃が痛かったっけねぇ。
胃潰瘍になってたのかぁ・・・。
そんな感じでした。
その診断書で、3か月間の療養を言い渡され、ワタシは(上司命令で)一時的に実家に帰ることになりました。
両親にうつ病になったこと、内服治療中であることを説明。
うつ病発症からこのあたりの記憶はかなりあいまいです。
うつ病の症状には個人差があり、ワタシがうつ病になって一番困ったのが記憶障害でした。
不眠、食欲不振、意欲低下・・・。
代表的な症状もあったのですが、一番強く出た症状が記憶障害と過眠でした。
とにかく覚えられない。
顔を洗い忘れた、ではなく、顔を洗ったかどうか忘れた。の状態。
実家にいると両親の時間軸で生活することになるのですが、21歳から夜勤を含めた交代勤務をやり続け、実家に戻ってくるまでに積み重なった寝不足、疲労感が相まって、とにかく「普通」の生活ができなくなっていました。
朝起きられない、食事をとらない、夜眠れない。
そのくり返し。
食事に関しては父親が時間を守る人だったことと、ワタシ自身がお菓子を食べる習慣がない人だったので、声をかけられたら食べる、という状態には戻りました。
実家にいる間、両親には穏やかに優しく見守って・・・もらえませんでした(笑)
両親はうつになるタイプの人ではなかったし、理解しがたかったんでしょうね~。
あ、今ではワタシの状況も理解してくれていて、味方になってくれてますよ。
すんげぇ時間かかったけどw
ワタシは朝と眠前に内服をしていたのですが、薬を飲んでいると母親の一言。
「そんなの飲んでるから治んないんじゃないの?!」
えーーー・・・。
いまなら、母の気持ちもわからなくはないんです。
東京に行って、大学病院で看護師としてあたり目に働いていると思っていた娘が、うつ病になって戻ってきた。
うつ病って何?
病気??
気合がたりないだけでしょう?
ちょっと嫌なことがあって、休みたくなっただけでしょう??
こんな感じだったと思います。
ワタシは看護学生のころに精神科を勉強しましたし、そういう症状や病気を持っている患者さんにもたくさん出会ってきました。
「うつ病は脳神経の病気」
そういう認識でいたのです。
今でもそう思っています。
病気なら治療する。
その治療方法が内服だったら内服する。
ただ、うつ病が理解されない一因として、病状が視覚化できないことがあるんだと思います。
検査数値や画像診断で重症度が判断できない。
「うつ病」を知識として知っている医療者でさえ、理解できない、共感できないという人もいるのですから。
医療に関して一般人である母が、うつ病を理解できないのは当然のことだったと思います。
健全な精神は健全な肉体に宿る。
そんな言葉をぶつけられたこともありました。
だから、いまはワタシの身体を健全にするために休む時期なんだよぅ。。。
とは言えなかった(笑)
なぜって?
ワタシ自身が、「嫌なことから逃げただけじゃない?」「朝起きれないのだって、夜寝ないからじゃない?」と思っていたから。
親の期待を裏切って、大人になったのに親に迷惑かけて・・・。
もう消えたい・・・。(死ぬのは面倒だった)
起きたら、何もなかったことになってればいいのに。。。
この想いは、けっこう長く続きましたね。
自分が情けなくて、嫌いで、生きているのがしんどくて。
泣いて泣いて眠って、朝は世の中に出ていきたくなくて・・・。
なにも考えたくない、放っておいてほしい、世界から隔離されたい。
そんなことばっかり考えていました。
結局、ワタシは1か月経たないうちに自宅へ戻りました。
動けない、役に立たない、朝起きれないなら、一人でいる方が楽だと思ったからです。
自宅に戻ったワタシは、とにかく睡眠優先、楽しいこと優先で過ごすことを決めました。
いま思えば、そう考えられるくらいには回復していたんだなぁ、と思います。
ありがとう!実家!
幸いお金には困っていませんでしたし、友人にも恵まれていました。
自宅に戻ったワタシを、ダーツ仲間が心配して連日のように外へ連れ出してくれました。
行きつけのダーツバーに行き、夕飯だけは必ず食べる。
自分で作ったものも、コンビニのご飯も食べられなかったのに、ダーツバーでだけは食事をすることができました。
あの時、ダーツという場所がなかったら、ワタシは違う人生を進んでいったんだと思います。
そんなこんなで、1年半ほど復帰と療養をくり返したものの、大学病院には復帰できず。
ワタシは急性期看護から足を洗いw、慢性期看護、老人看護とのんびり働けるところを探して彷徨いました(笑)
その間も、どうしようもなく調子が悪くなったこともありましたが、内服を続けながら休んだり、復帰したりしながら暮らしていました。
途中、マウントお局と嫌いな奴はどうなってもシラナイ上司と戦ったり、問題児はみんな問題児じゃないという菩薩のようなボスの下で楽しく働いたりしましたが、家の事情もあり静岡県へ出戻りました。
ところが、静岡に戻ってきて働いていた病院で、重度うつ復活。。。
生活がままならないレベルで再発してしまい、また療養期間に突入。
でも、今回は死ぬわけにはいかなかったのです。
消えるわけにもいかない。
なぜならば、療養生活に入る数か月前に、我が家にねこ様を迎えていたから!!
あの時は、ねこ様たちがいらっしゃったので、迷いなく療養に努めました(笑)
ねこ様たちを残して逝くわけにはいかない!
その一心でひたすら医師の指示を守り、内服と休息を続けていました。
結局、ワタシは今度こそ病院で働くことをあきらめ、施設の看護師になりました。
まぁその施設では「独身の人にはわかんないだろうけど母親って忙しいのよ」攻撃にあい、「独身で常勤なんだからもっと働きなさいよ」攻撃も受けました(笑)
見かねた施設長(一番偉い人)に系列の施設への異動を進められて、あっさり異動。
と、今度は原因不明の体調不良が出現。
胃潰瘍を皮切りに、続く微熱、だるさ。
1か月足らずで体重が15㎏減り、これはおかしいぞ?!と思って受診したところ、衝撃の診断結果が。。。
病名:肝機能障害
へ?!でしたよ。
ワタシはお酒は全く飲めないし、肝機能が悪くなるようなこともしていないはず・・・。
原因は「薬」でした。
うつ病を発症して以来飲み続けている、抗うつ薬の副作用。
それが発覚して、抗うつ薬の変更をするしかなくなり、変更に伴い眠気や食欲不振、意欲低下などの症状が大爆発。
明らかなうつ症状が治まっていた時期だっただけに、とてもショックでした。
しかし、肝機能もなかなか改善せず、療養するしかない状況になっていました。
この療養期間は、うつ症状による療養ではなかったので、心は割と元気でしたw
薬の副作用には苦しんでいたものの、メンタルには余裕があり、ワタシは思い付きであることを始めたのです。
はい、今回も長いですね!w
ここまで読んでくれた方。ありがとうございます。
うつうつしい?記事になっております。
ワタシはいろんなうつの方にもかかわってきましたが、本当に症状は人それぞれです。
うつ症状だけでなく、そう状態を併発する方もいらっしゃいますし、不眠がひたすら続くという方もいらっしゃいます。
ワタシのうつ症状は、あくまでもワタシに現れた症状なので参考程度に考えていただきますよう、お願いいたしますm(_ _)m
次回は、結婚までの話を書きたいと思います。
よかったら、また遊びに来てくださいね♪