今、京都ではレオ・レオニーの展示会が開催されています。

私、あの絵が大好きなんですよね。
コラージュを使ってるのかな?ネズミさんの表情にほっこりしたり、なんだか癒されます。

観に行きたいなぁ〜と思いつつ、我が家にある絵本を何年ぶりかに読んでみました。

代表作は『スイミー』なのかな?
小学校の国語の授業で習いますもんね。

私は『アレクサンダーとぜんまいネズミ』が好き。『自分だけの色』も好きです。

で、今回読み直して「?」と感じたのは『シオドアとものいうきのこ』というお話。なぜか私の記憶には残っていなかった。
なんでだろう?

読むと…モヤっとした。
主人公のシオドア。
彼には、自慢できることがない。「逃げること」だけしか思いつかないし、怖がりさん。
そんな彼が、嘘をつくことで自分を周囲よりも偉いんだぞと虚勢を張り、周りがチヤホヤする…
だけどその嘘がバレて、最後には得意の『逃げる』で姿をくらましてしまった…というお話。

多分、小さい子供には「嘘をつくと天罰が待ってるよ」なんてことで収まる話なんだろうけど、私は引っかかった。
なぜ、シオドアは大きな嘘をつかなくてはいけなかったのか?

彼が一緒にいた仲間と違って、自慢できることもなく虐げられた存在だったため、他の子達に対して自慢できることを望んだ結果、『嘘をつく』という手段に走ってしまったんだと思う。

結果、仲間とは居られなくなり、お得意の「逃げた」というオチでお話が終わるけど、最後、やっぱりシオドアは『孤独』だなぁ…とちょっと悲しくなってしまった。

シオドアが、仲間から虐げられることがなければ、嘘をつくことだってしなかっただろうに…

このお話が道徳の授業なんかで使われるとしたら、先生はどう子供達に伝えるのかな?

息子に聞いてみた。
「簡単にいうと表向きは『嘘をつくと、ダメだよ』ってことなんだろうけど、なんかモヤっとするね」という。

嘘をつかなければならなかったのはなぜか?
そこの説明は飛ばすのかな?

また息子は「某宗教の教祖の話っぽいよね」と。
確かにそうだと思った。
弱者扱いされてきた者が、強さを見せるために『宗教の教祖』としてのしあがり、事件を起こす…

似ているかもしれない。

この絵本は、子供向けという感じではないと思った。
さらりと読める本ではない。

訳をされた谷川俊太郎さんは、どういう思いをされてたんだろう?

1冊の絵本に込められたメッセージの複雑性に悩んだ1日でした。

それに懲りずに(!?)、『マシューのゆめ』という絵本が欲しくなった。

貧しい生活をしていたネズミの一家。
マシューの両親は、医者になって今の生活から脱して欲しいと願っている。
子供に夢を託していたんだろうね。でもマシューは学校から美術館に出かけることで素敵な絵画や美術作品を出会い、「大きくなったら何になりたいか」という質問に「何もない」と答えていたのに「画家になりたい」と初めて夢を持った…

私はハッとした。
親は、学歴をつけて立派な企業や職業に就くことを願っている。きっとどこの子を持つ親もそう願っていると思う。
でもそうじゃない。
子どもには子供の「なりたいこと」「夢」があって、親の思い通りにはいかない。それを気付かされたというか、パンチを食らった感じだった。

就職がまだ決まらない息子。
マシューと一緒で、「なりたいものはない」と言う。
そんな息子が、何かに出会って、夢を持つ日が来るかもしれない。
それに賭けてもいのかな…一瞬、そう思えた。
親のエゴはやめなきゃ…親に対しての教訓かもしれない。
そんな一冊の絵本、持ってると思ってたけど、手元にないので購入したいなぁと思う。

絵本って、子供だけのものじゃないんですね。
とても考えさせられました。