『あした死ぬかもよ』という本が気になって、購入した。
うつ病の私に、「『死』を意識することをやめなさい」と主治医に強く言われてきたこともあり、この本は以前から気にはなっていたものの、手をつけず今まで過ごしてきた。
けど、もういいかな?って自分で勝手に判断して、読んでみることにした。
『死』の反対は『生』。
生きるということ。
生きづらさやストレスを抱えている今の私に、『生きること』を意識することは悪くはないんじゃないかって。
で、感想。
若い人向きの本かな?って思った。
というのも、笑顔で死を迎えるために…
後悔のない死を迎えるために…
そんなこと、わかってるんだよ。
でも、後悔のない生き方をしようと思ったり、やっておきたい、すぐに行動を起こしたいと思っても、専業主婦には自由になるマネーがないから、夢なんて叶いっこない。年齢的にも、もう遅いように思う。
結局は、行動を起こすって、マネーや体力がついて回る。
〇〇へ旅行に行っておけばよかった
美味しいフレンチを食べておきたかった
遠方の親友に会いに行っておきたかった
全てマネーが絡みませんか?「エイヤッ!」って気合い、必要じゃないですか?
今の私には無理。
自由になること気持ちも何もありません。
気合いだけじゃなく、時間もマネーも。
あした死ぬかも…
後悔はないですか?と問われても、「ない」と答える。
反対に「満足」もない。
単に『無』の状態。
元気な時なら、子どもが小さい時だったら「生きること」への執着はあったかも。もう、今は状況が変わってるし、私がいなくなったって、時間は過ぎるし、世界は回る。
残されたものだって、「なるようになるさ」ってこと。
私にとってこの一冊は、特に心に深く刺さるものはなかった。
前評判はかなりよかったから期待してたんだけど。
『死』『生』よりも『運命』という諦めの気持ちのほうが強いのかな?
「もうどうでもいいや」ってのが一番しっくりくるのかも!?
でも、この書籍を批判するつもりはない。
良書だと思う。
人はみんな、『自分が死ぬ』という意識をせずに生きてるから、それを気づかせてくれるという意味では、よかったのかもしれない。
多分、多くの人にはおすすめです。一回読んでみる価値があると思う。
私には、やっぱりまだこういう系の本は早かったかな?
うつ病の私に、「『死』を意識することをやめなさい」と主治医に強く言われてきたこともあり、この本は以前から気にはなっていたものの、手をつけず今まで過ごしてきた。
けど、もういいかな?って自分で勝手に判断して、読んでみることにした。
『死』の反対は『生』。
生きるということ。
生きづらさやストレスを抱えている今の私に、『生きること』を意識することは悪くはないんじゃないかって。
で、感想。
若い人向きの本かな?って思った。
というのも、笑顔で死を迎えるために…
後悔のない死を迎えるために…
そんなこと、わかってるんだよ。
でも、後悔のない生き方をしようと思ったり、やっておきたい、すぐに行動を起こしたいと思っても、専業主婦には自由になるマネーがないから、夢なんて叶いっこない。年齢的にも、もう遅いように思う。
結局は、行動を起こすって、マネーや体力がついて回る。
〇〇へ旅行に行っておけばよかった
美味しいフレンチを食べておきたかった
遠方の親友に会いに行っておきたかった
全てマネーが絡みませんか?「エイヤッ!」って気合い、必要じゃないですか?
今の私には無理。
自由になること気持ちも何もありません。
気合いだけじゃなく、時間もマネーも。
あした死ぬかも…
後悔はないですか?と問われても、「ない」と答える。
反対に「満足」もない。
単に『無』の状態。
元気な時なら、子どもが小さい時だったら「生きること」への執着はあったかも。もう、今は状況が変わってるし、私がいなくなったって、時間は過ぎるし、世界は回る。
残されたものだって、「なるようになるさ」ってこと。
私にとってこの一冊は、特に心に深く刺さるものはなかった。
前評判はかなりよかったから期待してたんだけど。
『死』『生』よりも『運命』という諦めの気持ちのほうが強いのかな?
「もうどうでもいいや」ってのが一番しっくりくるのかも!?
でも、この書籍を批判するつもりはない。
良書だと思う。
人はみんな、『自分が死ぬ』という意識をせずに生きてるから、それを気づかせてくれるという意味では、よかったのかもしれない。
多分、多くの人にはおすすめです。一回読んでみる価値があると思う。
私には、やっぱりまだこういう系の本は早かったかな?