今日は朝から大学病院へ行ってきました。


いつもは自転車ですが、今日は雨だったので、予約時間の1時間以上も前に家を出て駐車場を確保!

並ばずに済みました。

病院での待ち時間が長くなりますが、車の中で化粧をして時間つぶし・・・

コンビニで雑誌を買って読んでたら、「Sさ~ん!」と先生自ら呼び出し。


予約時間通りの診察でした。

こんなこと、めずらしい!



主治医は、私の2か月間の経過はもちろんのこと、息子のことも気にかけてくださってます。

「薬、変えたのね・・・。どう?」とか、「学校では勉強、ついていけてる?困難は出てません?」などなど、ありがたいことです。


「もっと学校の先生が勉強すべきことだよね。今は1学級に一人はいるであろうポピュラーな障がいなのにね。あななたち保護者が生の声を出し続けて、学校を変えちゃいなさいよ!?」なんてことも言われました。



その昔・・・

私がまだ勤めていた頃ですから、今から15年も前のことです。


私は老人保健施設に勤めていて、看護婦長さん、OTのI主任、OTのHさんの4人で部屋に詰めていました。入・退所のアセスメントに関わっていたので、その4人のメンバーで仲良く、いや、可愛がってもらってました。


ある日、OTのI主任が

「僕なぁ、これからの時代、『学童』って必要屋と思うねん。あっ、ただの学童ちゃうで。『自閉症』の子どものための学童な。 今までに何度も関わってきたことだあるんやけどさぁ、本人はもちろん、家族がものすごく大変でなぁ、お手伝いできることをいっぱい感じたわ。年寄りのための施設なんて、あと5年ほどしたら、あほほどできるわ。もう、そんなんいらんねん。子どものための、お手伝いが必要な子どものための施設、作りたいなぁ~。」


こんなことを言ってました。


「子どもの施設ですか?大変ですよ~。」なんて、当時は何とも思わず無責任発言だった私。

子ども嫌いだったから、「面白いうこと言うななぁ、Iさん・・・」ってくらいにしか思ってませんでした。


「作ってみたら?Iさんって、バイタリティーあふれる人やし、できそうやん!」


婦長さんと笑って言いましたが、Iさんは「もっともっと勉強せな無理や。専門家を置くくらいでないと。『自閉症』ってなぁ、Oちゃん(私)が思ってるのとは違うで、たぶん。いろんなタイプがあるねんで。自分の殻に閉じこもるだけが自閉症と違うで!」


Iさんは力説してました。


今、当時のIさんの野望を思い出すと・・・

そんな施設、あったらいいなぁ~と思う立場になりました。


まさか、自分の息子が『自閉症スペクトラム』だなんて予想だにしてませんでした。


私はそれから体調を崩し、入院、手術となり、仕事を辞めてしまいました。

それからIさんとは会っていません。


今、Iさんはどうしているのかなぁ?

世間で、障がい児の学童ができた!という噂は聞いていません。