建国の父の墓 Makam BunKarno(マカム・ボンカルノ) | 鮫鰐通信

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バリで5年暮らした後スラバヤ駐在の旦那サマと結婚。スラバヤ生活5年半を経て、2016年4月末に本帰国しました。
       島が変われば品変わる。フリーライター系駐在員新妻のスラバヤあれこれ、時々猫とバリ。

ブリタールは、意外な程「街」でした。やっぱり、大きな観光資源があるからでしょうか。一個人の眠るお墓を「資源」なんて言ってはいけないかも知れませんが、いやいや、あれは立派な「観光資源」でした。

Makam BunKarno(マカム・ボンカルノ)と呼ばれる、スカルノインドネシア初代大統領の霊廟は、街の真ん中から少し北にあります。
Makamが「墓」、BunKarnoはBunとKarnoに分けられて、Bunは「アニキ」「にいさん」という感じ、Karnoはスカルノ。「スカルノにいさん」と親しみを込めて呼ばれているわけですね。

街中に広い駐車場があって、そこに立派な観光案内所もあります。お墓は駐車場から歩いて15分くらいとのこと。でも、どうも言ってることに不思議な差があるんです。「ここを出たらあの角を左に折れて、ずっとまっすぐ。右側に見えてくるから。すぐだよ」という人と、「歩いたら15分くらいかしら」という人と。15分歩くって結構距離ありますよねはてなマーク でも確かに道順的にはすぐっぽいし…? 盛んにベチャに乗って行ったらいいよ、と言われたし、駐車場内に、観光用なんでしょう、ベチャの料金表がでかでかと掲げられていたりもします。でも「すぐ」って言われたしなあ、と思いつつ、歩いて行くことにしました。

駐車場を出て、最初の角を左へ。しばらく行くと、「I ドキドキ BLITAR」Tシャツや、スカルノ氏の写真、ポスター、氏の写真入りのTシャツ…と、独特のセンスのお土産物屋さんが見えて来ました。
$鮫鰐通信-土産物屋


「ううむ、今でもスカルノって人気あるのか…?やっぱり国民的英雄ってことなのかなあ…」と小首を傾げつつ更にまっすぐ。すると、ずらーーーっと連なるお土産物屋さん街に入りました。
$鮫鰐通信-土産物屋ずらり

なんか、このたたずまい、すごく日本っぽい…。
各店で微妙な違いもありますが、ほぼ全部の店先にスカルノ氏の写真入りのTシャツが。
公式プロフィールではスラバヤ出身となっているスカルノ氏。なぜブリタールにお墓があるんだろう、と調べたら、生家があるんだそうです。

この土産物街を抜けた辺り、向かい側に目指す陵墓が見えて来ました。すごく広そう。
最初に目に入るのが、これ。
$鮫鰐通信-なぜこのチョイス

後からわかったんですが、これ、お墓の手前にあるミュージアムの外壁なんです。でかでかと掲げられた、絵。残念なことに微妙にへたっぴ…得意げ しかもなんでこのシーンをチョイスしたんでしょう。やっぱり色々センスがおもしろい。

写真を撮らなかったんですが、スカルノ廟への入り口はマジャパヒト時代のヒンドゥー様式の割れ門です。ムスリムだったはずなのに、どうしてでしょう???

門を入ると、花売りのおばちゃん達が「買って行け~、墓に撒け~」とやいやい言いながら寄って来ます。記帳所があって、書いていけ、と言われます。代表者1人でOK。
私は、お恥ずかしながらスカルノ氏に関しての知識がほとんどなく、どちらかと言うと「独裁っぽい感じの人」という印象を持っていました。その後色々調べて、インドネシアの独立と方向性を決定するには、独裁も必要だったんだな、と思っていますが、この時はいいとも悪いとも言えないような気持ちしかなかったので、お花は買いませんでした。

この日は平日だったせいか、ほぼ全く人がいなくて静かでした。
記帳所から右に行くと記念館。
$鮫鰐通信-ミュージアム方面

時間がなかったのでパスしちゃいましたが、中にはデヴィ夫人に関する展示もあるそうです。

左に行くとお墓です。
マジャパヒト・ヒンドゥー様式の門を入ると、正面にででん、と。
$鮫鰐通信-お墓全景


広いですねえ。ここ、1979年に改修されてこんな風に立派になったんだそうです。
3層の屋根は、胎内、現世、来世を表しているのだそうです。これは仏教やヒンドゥーの考え方。来世思想のないムスリムのお墓に、なぜ…はてなマーク と思ったら、これ、ジャワ王室になぞらえているのだそうです。「多様性の中の統一」というパンチャシラを唱えたスカルノを象徴する意味もあるのでしょうか。

屋根の下は大理石の床です。そこにスカルノ氏が眠っています。
$鮫鰐通信-お墓

このお墓のスタイルはイスラム教なんですよねぇ。
ちなみにヒンドゥー、仏教は火葬で、ヒンドゥーは墓を残しませんが、ムスリムは土葬。仰向けではなく、メッカの方向に向けて横向きにして葬られるのだそうです。玉砂利の上に花が撒かれている光景は、穏やかでかわいらしいものでした。思想どうこうじゃなくて、故人は故人として素直にお花を捧げればよかったかな、とちょっと反省。

左右にも石碑があります。
$鮫鰐通信-父と母も

誰だろう?と刻まれている文字を読んでみたら、向かって左はバリ人の女性の名前、左はムスリムの男性の名前でした。そういえばスカルノのお母さんてバリ人じゃなかったっけ…とおぼろげな記憶が。
帰ってから調べたら、やっぱりそうでした。ご両親と一緒に眠っているわけです。
でも、バリ人のお母さんはヒンドゥー教徒ってどこのサイトにも書いてあるんですよねぇ…。バリ・ヒンドゥーを貫いたのなら火葬の後海に灰を流すというのが本来なんですが。やっぱり今と同じように、結婚した時に旦那さんの宗教に改宗したのか?でもそういう法律ができたのはスカルノ以降だし…はてなマーク

疑問は尽きません。
ちなみに、こういう風に指導者やえらい人のお墓にお参りする、というのも本来のイスラム教にはない習慣なんだそうです。偶像崇拝禁止してますものね。東ジャワには他にも9聖人(ワリソンゴ)の霊廟があって、人々が良く訪れています。インドネシアのイスラム教はアラブ圏とは違う、と言われる所以の一つ。


お墓を出て順路通りに歩いて行ったら、迷路のような土産物街に誘われました。ぐるぐる回ってやっと外に出た時にはへとへと。駐車場までの帰りにはベチャを使いました。
実はベチャ初体験だったので、面白かったです~ニコニコ

ちなみにベチャで回る観光コースにはスカルノ廟以外の見所も回ってくれるものもありました。
のんびりベチャで観光、いいかもしれません。