とことん自分を追いつめたのは、禁止してたから。 | 愛し愛される世界へ♡本音で生きる♡ひとりパートナーシップ探究家

愛し愛される世界へ♡本音で生きる♡ひとりパートナーシップ探究家

愛し愛される最高の関係を育んで、幸せになりたいと望む女性達に、愛は創造できることを伝えたい。愛の世界にいる"わたし"と繋がって、本音で生きる♡ひとりパートナーシップをブログに綴ってます!


>そんな非道な私は
>生きてる資格なんてない。

>最低な人間だから
>幸せになってはいけない。

>自分は罪人だから
>罰を受けなくてはいけない。


とことんまで
自分を追いつめて、傷つけたのは

子どもを捨ててしまった…
と、後悔と自責の念に苛まれたから

禁止してたことを
自分がすることになったから。



子どもを捨てるなんてあり得ない!!

間違ってる!許せない!

子どもを傷つけることをするって、ひどい!

母親なら、責任を持って子どもを育てるべき!



この概念を持って生きてたから

いざ、自分が
子ども達と離れるときには…


「子どもを捨てた母親」と同じことを

あり得ない!間違ってる!
許せない!ひどい!と思っていたことを

自分はするんだ。と自覚して…
苦しかったし、辛かった。



子どもを捨てては、いけない。
子どもを傷つけては、いけない。

そう禁止してたことを
自分が、してしまうことに
すごく罪悪感を感じてた。
自分を責め立てた。



自分を追いつめて
傷つけてたのは、私だった。

禁止することによって
自分で、自分を
鎖で縛りつけていた。

自由であることを、許せない
ひとつの枷になってた。




この経験を通して

自分を縛りつけてるのは、自分


自由を奪っているのも
 
罰するのも
 
許せていないのも
 
全部、自分だってわかった。


禁止事項が (自分に対しても、他人に対しても…)
多ければ多いほどに

自分を縛りつけて
自由を奪う、枷は多くなる。


知らず知らずのうちに
気づかないままに、人は…
自分で、自分を縛りつけてて
自分で、自分の自由を奪ってる。




自分で禁止をしてた
子どもを捨てることをしてしまって…

子どもを捨てた母親は
あり得ない、間違ってる、ひどい、許せない
と、思ってたことも…

その思いが、解放できる頃には
自分のことも、許せるようになってた。