午前、菅並の集落を出発しました。
廃村でランチをしたいので、木之本のコンビニで弁当とお茶を買ってきました(^_^)
北海道トンネルを潜ってしばらくは、ダンプカーでも通れる広い道が続きます。ほんのしばらくですが…(^^;;
最初に新しく架けた橋のところまで来ました。
橋にはゲートが設置されていて、菅並集落からのゲートとほぼ同様の警告看板が立っています。
見た目、道の付け方が不自然ですよね~⁈
その右手を見ると…なんと廃道があるじゃありませんかっ∑(゚Д゚)
橋を架ける前は、こっちの崖に沿って県道が走っていたのでしょう。
水資源機構の警告板「丹生ー1」
ここから先は「独立行政法人 水資源機構」の事業用地。
すなわち、丹生ダムが建設されるはずだったエリアに進入することになります。
右側に少し見えているのが、県道の元の橋です。
古い橋っていうか今も県道扱いの橋の上から、整備された新しい橋を眺めました。下を流れるのが高時川です。
川の中では、名古屋からやって来たと思しき男性二人が鮎釣りをしていました。
橋はいちおうクルマで渡れますが、橋の片方が草木や藪で狭いので止めておきました。歩いたほうが気持ちいいですしね。
ホント、簡易デッキを持ち込んで涼むにはもってこいの環境ですよ~(^-^)
※実際に別の場所でも目撃しました。
『ここが丹生ダムの予定地です』
橋のすぐ近くにある水資源機構の看板です。
ニューちゃんがいう通り、本来ならここにダムサイトが出来るはずでした。
土と石で造るロックフィルダムの予定だったんですね(^_^;)
この先の左カーブ右側に、鉄条網で進入禁止の作業小屋(?)が激藪に埋もれています。
工事関係車両の駐車場および資材置き場だったのかもしれません。比較的新しかったですし。
廃村「小原」「小原」の表示板
上の小屋から細い道を走ってすぐ先、南側からは最初の廃村「小原(おはら)」に到着しました。
画像左上に、集落で使われていた「半鐘」の支柱が見えています。草が刈られているので、時々は元住民の方が手入れされているのでしょうか?
家屋はすべて取り壊されましたが、作業小屋が一つだけあります。
このわずかに開けた場所に集落がありました。1995(平成6年)に移転。
この集落には、かつて余呉町立丹生小学校の小原分校がありました。
※その本校であった丹生小学校は、既に余呉小学校に統合されて廃校となりました。
小原から細い道を数分走ったら、「田戸(たど)」の集落があった場所です。
先ほど走ってきた道です。ここから見ても、丹生谷が山深い地だということが良く分かると思います。
田戸は高時川とその支流・奥川並川が合流する地点で、生活に必要な物品を販売する購買所や農協支所、作業所などがありました。各集落で生産された炭を出荷するところでもあったようです。
往時、田戸の子供たちはこの道を歩いて小原分校へ通っていたそうです。
ここも1995(平成6)年に移転。
<廃村「奥川並」のこと>
「おくこうなみ」
平地がわずかしかないので、橋のたもとに田んぼがありましたが、度重なる高時川の氾濫で米の収穫量は少なかったそうです。
舗装されていない細い道(ダート)を上がっていった奥に集落がありました。
1969(昭和44)年に集団離村したそうです。
往時は丹生小学校奥川並分校がありましたが、廃村と運命を共にしたとのこと。
廃村の後に、ダム事業用地となりました。
最近も、訪問された方がちらほら居られるようです。それくらい、廃村マニアの探求心をくすぐるのでしょう。
私も行ってみたかったのですが、登山の装備と熊除けの鈴などを持ち合わせていなかったのでやむなく断念しました。
まだ先に訪問したい廃村がありますしね。何かあっても、単独での訪問は生命の保証が出来ません(^^;;
では、ここに……
警部補さんにお約束したマイカーの画像を貼っておきます。
さて、ここから先にはさらなる廃村が待ち受けていますっo(^▽^)o
道が細いですよ……(^_^;)














