ベビーカーのお話 | かけはし

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日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

昨日の日記の続きのようなものです。

前の日記ではベビーカーと書いていますが、この日記は既に下書きしていたもので、ベビーカーではなくて乳母車と書いています。わたしはカメラのことを写真機と言ったり、スプーンのことをお匙と言ったりする昭和人で、もう訂正も面倒なので、乳母車のままで残します。


ドイツは各国からの難民を大量に受け入れている事は有名です。

各自治体が、自分たちのキャパシティに応じて受け入れています。わたしの住む街ももちろん受け入れています。200人ぐらいと思いますけど。ウクライナも入れたらもっとかもしれない。人口二万人弱の街です。

わたしは基本的には人道的な人間で、困っている人はわたしのできることをして、助けたいといつも思いますが、ドイツの難民政策については言いたいことは山ほどあります。この日記では、思うことのほんの一部を明らかにしています。


路線バスなんかを運転していると、難民アパートに住んでいる人が乗り込むことはとても多い。なぜなら、各自治体は、限りある予算でできる限り多くの難民を受け入れようと努力しているので、彼らに用意出来る住居は、多くの場合、かなり辺鄙な場所に作らざるを得ないのです。だから彼らの移動手段は、路線バスという事になる。


わたしはここ数日、難民乗客といざこざを起こしています。


途中の寒村に、難民アパートがあるのですが、彼らはしょっちゅう、子供を乗せていない乳母車持参で買い物に行くんです。それもグループで。バスに5台ばかりの乳母車を乗せたら、安全上問題があるし(通路は人が通れるようにしておくのは絶対に守るべき鉄則)、そもそも本当に赤ちゃんの乗った乳母車や車椅子の人が来た時にも困る。

そこで、乗車を断るんですが、言葉が通じないのと、彼らの常識では、場所はあるのに乗せないのは差別か難民いじめ、みたいに捉えて、大激昂するわけですよ。通路にずらりと押し込めば5台入りますからね。どうしてそれが駄目なのか理解できないんです。


前回は、彼らの中の1人がロシア語かハンガリー語ならちょっとはわかるとの事で、ちょうど隣のバス停にいた運転手がハンガリー人だったので、なんとか通訳してもらい、実際に本当の正当な中身が入った乳母車か車椅子が来たら降りろ、という約束のもと、5台のうち、3台だけ乗せて、出発しました(ハンガリー人同僚は、すごく初歩的なハンガリー語しかわからないみたいだけど、我らの言ったことはほぼわかったと思う、との事)。乳母車3台入れて、もういっぱいです。人が十分に通れる場所を空けておくのは鉄則ですから、5台は乗せられなかった。ぎゃんぎゃん騒がれましたが、無理なものは無理。わたしはドアを閉めて出発しました。本来荷物乗せただけの乳母車は断って然るべきなんですが、ちょっとは同情した上での譲歩です。わたしはその後この決断を後悔する事になるんだけど。

近くに同僚のバス運転手がいっぱいいたからできたことですが、1人だったら怖かったと思う。


ところが次の停留所で本当に乳児を連れた母子が待っていて、降りろ降りないの押し問答が始まり、難民家族はがんとして降りないために、乗りたかった善良なドイツ人母子は「良いわ、ありがとう。貴女も大変ね。夫に迎えにきてもらうわ。夫はもともと迎えに行くと言ってくれていたけど、自力で子供とバスに乗って帰る練習をしたかったの。気にしないでね」と乗車を断念してくれたんです。


で、難民家族には今後は絶対に荷物用の乳母車は乗せない、と宣言しました。しかし、彼ら、本当に常識が違うというか、あれだけの騒ぎを起こしておいて、走行中にわたしのところに来て、自分たちのアパートはバス停から離れているので、近くで降ろして、と頼みに来たんです。実際他の運転手はやる人もいるようです。わたしは今度はがんとして断り、所定の停留所で降ろしました。我々は停留所以外の場所で乗客を乗降させることは禁止されているんです。保険関係が主な理由ですが。


で、あれだけのいざこざがあったのに、今日も5台の乳母車が停留所にいました。昨日あんなに買っていたのに、また今日も行くのかしら?今日は赤ちゃん入り2台、空が3台です。

中身入りは断れませんしね。それに彼らが身振り手振りで言っているのは、どうやら他の三人の赤ちゃんは、今から行く街にいるとかなんとか。言葉が通じないので押し問答も無理だし、結局、空の乳母車を畳ませ、バスの中の乳母車置き場に積み上げて、ベルトで固定して出発しました。これで6分の遅延です。

そして彼らに、昨日同僚が書いてくれた「荷物だけでいっぱいの乳母車は乗せない」と書かれた紙を見せて帰路の乗車をあらかじめ断りました。


で、帰りですが、ちょうど彼らが降りるバス停の近くで、逆方向からやってきたバスとすれ違ったんだけど、どうやら彼らはそれに乗って帰ったようでした。その運転手は、過度に人道的なのか馬鹿なのか、バス停でも無い彼らのアパートの前で彼らを降ろし、食料品でいっぱいの乳母車をどうやら5台全部乗せて来たようでした。

後続車もいなかったので、わたしはバスを停めて窓を開けて「あんた、バス停でも無いとこで、客降ろして何やってんの?やっちゃいけないって知らないの?」と注意し、「それに5台も入れて、万が一の非常時にはどうするの?やっちゃいけないって知らないの?」と文句言いました。勿論難民家族からは大ブーイングですよ。わたしが何言ってるかわかったんでしょう。


わたしが担当する時間は彼らもわかったことだし今後はきっと文句を言わずに乗せてくれる運転手担当の便に乗るんでしょうね。でもわたしはこの件を本部にチクります。このことは件の運転手にも言いました。悪口言いたいなら言えば良い。


しかし、わたしが市役所の難民担当者だったら、そこまで考えると思うけどな。彼らの住むところがすごい僻地の場合は、買い物などにも不便するわけだし、多くの場合子沢山で買い物は大量だし。例えば週に一回まとめ買いの日を設定して、アパートからシャトルバスを出すとか。そして一族郎党引き連れての楽しみのためのお買い物は、常識的な荷物だけを持って行くことを教えるとか。シャトルバスなんて費用はかかるでしょうが、もう相当な予算を難民のために組んでいるんだから、数千ユーロ増えたところでさして変わらないだろうし。住むところとお金を与えてほったらかし、アフターケアがおざなりになっているのでは無いか?ちゃんとこちらの常識をもっときちんと教えるべきでは無いか?難民アパートは外から見たらほとんどの場合わかりますよ。ゴミの分別とかがテキトーなので、建物の周りにいろんなガラクタが散乱しているところが多い。全部では勿論無いですが。我が街はきちんと管理されています。担当者が優秀なんだと思う。

そしてきちんとしたアフターケアができないと言うことは、能力以上に難民を受け入れてしまったという事です。


もう我らの神経はそれで疲弊しています。

全部がそうじゃ無いんですよ。ちゃんと溶け込もうとしている人も多いし、朝早くから勉強や職業訓練のために僻地の村から始発バスに乗って大きな街に通学している人もいっぱいいる。問題児の方が割合としては少ないはずです。


偶然目にした日本のニュースで出てきたベビーカーの話から、難民問題までしみじみ考えることになりました。


ごたごたはあるが、風光明媚なところではあるな。わたしは都会好きで、自然の中で休暇を楽むより先に美術館などに行って人間の作ったものを鑑賞したいので、ここで休暇を取る気は無いけど。


さんぼ