マンテーニャとベリーニの作品は、おそらくブレラ美術館を訪れたほとんどの人が足を止めて鑑賞する絵画でしょう。
ガイドさんたちもここは必ず止まって、前で説明なさいます。だから、混んでいるときは、ゆっくり鑑賞することも困難なほどです。ガイドさんによっては、絵の真ん前に立ちはだかり、長時間仔細微細にわたって説明しますからね。いや、でもこれは貴重な説明と思いますよ。
また脱線しますが、わたし、今度ミラノに行くときは、おそらくガイドさんを一日お願いしようと思っています。おそらく300€以上はかかると思うんですが、イタリアのガイドさんは、厳しい国家試験に合格した人ばかりですから、その貴重な知識を教えていただけるのだから、喜んで支払います。彼らは歴史、美術、芸術については、本当に詳しく勉強なさっていて、とても面白いです。
ここでつい書きたくなるので、洗いざらい思うことを書くと、この頃インターネットで海外在住者と旅行者のマッチングサイトのようなものがあり、わたしは何回かクレームを出しましたが、それはドイツで資格も無いのに、車両を使ったサービスを提供している人が何人かいるのに気が付いたからです。料金を頂いて旅客運送をするのには、きちんとした資格が必要です。ドイツの場合は日本でいう「二種免許」は当然として、使用車両を業務車として登録する必要があり、登録するためには資格が必要です。わたしは正規の資格の上、合法に営業していますけど。
あの手のマッチングサイトは、ご利用の際には十分に気を付けるべきですね。単なる街の散策のアテンドぐらいだったら任せてもいいかもしれませんし、それはそれで楽しいかもしれないなと思います。だけど、車両を利用するツアーとか、実のある観光をしたい場合、確実な語学力のある通訳がほしい場合とかは、わたしにはマッチングサイトの利用は選択肢にありません。プロがあの中にいるとは思えないからです。
またブレラの話に戻りますが、今回ちょっとしっかりと見たいと思っていたことの一つに、テンペラ画と油絵を少しでも意識して、その違いを感じ取りたいなと思っていました。
ブレラ美術館でもっとも有名な絵の一つ、マンテーニャの「死せるキリスト」です。
アンドレア・マンテーニャは1431年生まれ。レオナルドが1452年生まれなので、20歳ぐらい年上ですね。で、彼が活動していた時期は既に油絵が主流になっていたらしいんです。ところがマンテーニャは伝統手法であるテンペラでの作品が多いのです。
レオナルドは、わたしも素人が調べた限りですが、最初のヴェロッキオの工房にいた際の作品と「最後の晩餐」はテンペラを用いていますが、あとはほとんど油絵と思うんです。油絵具を用いると、乾くのに時間がかかるという特性を生かして、ぼかしたりとかいろいろと混ぜたりとかの奥行きを生かすような技が使いやすかったらしいんですね。ただ、経年で色の変化などが生じたとのことです。
そのあたりを頭に置いて、鑑賞したら、少しは画家の気持ちもわかるのかな、と思って。ま、あんまりわかんなかったんですけどね。
この絵は、斬新な構成で、横たわるキリストを足元から描いたもので、遠近法を駆使した作品です。この絵は、マンテーニャが自分自身のために描いたと言われており、彼がなくなった時も、工房に残されていたそうです。
美的感覚が無いようで言いたくないんですが、あまり好きなタイプの絵ではない。あまりにも写実的で、想像と妄想の余地が無いからです。でも、ルーブルで見た「聖セバスティアヌス」とか、「キリストの磔刑」などは、「死せるキリスト」の際は、足元から描くことで、全身を短く描く形式の遠近法(専門用語があると思いますが、わからない。絵を見ればわかりますよね)でなく、ごく通常の遠近法を用いているので、わたしのような素人にもわかりやすく、生々しい風景に圧倒されたのを覚えています。
とにかくこの絵は、一度見たら忘れられないほどの衝撃を観る者に与える絵だと思います。ブレラ美術館の6番の部屋にあります。
また、キリストの傍で悲しむ女性はマリアですが、例えばミケランジェロの有名なサンピエトロ寺院にあるピエタなどを思い出すとわかるように、一般的には、成人したイエスキリストのお母さんなんだから、相当な歳なのにもかかわらず、なんだか美しく若い姿で表現されていることが多いですが、このマンテーニャは、恐ろしいほど写実的に、しわだとかシミだとかまで描いています。迷惑な。これだから、この人から肖像画を描いてもらおうなんて人はあまりいなかったでしょうね。
例えば、マントヴァ候妃のイザベル・デステは、美人の誉れ高かった人で、結構肖像画の出来にもうるさく、もう初老になってからティツィアーノに肖像画を描かせたら、えらく老けて描かれていたので気に入らず「もっと若く見えるように描いて頂戴」と描き直しを命じ、ティツィアーノはついに、彼女を心の眼で見て、20歳か30歳分若く描き上げたという逸話も残っているほどですが、彼女は芸術家のパトロンとしても有名で、いろいろな画家にチャンスを与えるという意味もあって、肖像画を注文したという話が残っていますが、部下がその当時名が知られ始めていたマンテーニャに頼もうといくら勧めても、絶対に嫌だったらしい。そりゃあそうでしょうね。彼に頼んだら、隠しておきたいところも何もかも赤裸々に描き出されてしまったでしょう。
因みにイザベルさんは、レオナルド・ダヴィンチの描いたある肖像画に感銘を受けて、レオナルドにも肖像画を頼んでいます。そして、レオナルドは、彼女のために一枚のスケッチは書き上げましたが、イザベルの再三の催促にもかかわらず、とうとうその絵を完成されることは無かったそうです。
イザベルさんの肖像。レオナルドのスケッチです。レオナルド展のパンフレットより。
どうして描くの嫌だったんだろうか?
このイザベルが魅了された肖像画はいまはポーランドにあるに「白貂を抱く貴婦人」のことで、このモデルは、ミラノ公ルードヴィコの愛人のチェチーリア。そして、ミラノ公ルードヴィコは自分の妹のベアトリーチェのご主人なのです。
ミラノ公の愛人のチェチーリア嬢。パトロンの愛人かいたの。
「白貂を抱く貴婦人」レオナルド・ダヴィンチ。今はポーランドのクラクフにあります。
ミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァ、彼こそがレオナルド・ダヴィンチに名画「最後の晩餐」を依頼し、今回のわたしのミラノ旅行の目的でもあるスフォルツェスコ城の中の「アッセの間」の制作を依頼した人です。
で、いまここで、果たしてわたしは何を書こうとしていたのか忘れて、上のほうを見たら、マンテーニャについて書いており、本当はベリーニまで行こうと予定していたことが見て取れます。しかし、あふれる思いを書きなぐっていたら、なんということでしょう、まだマンテーニャのことしか書いていません。予定変更して、この日記はマンテーニャとその周辺だけにしておいて、続きはまた書きます。自分の覚え書きのための日記とは言え、我ながらこのしつこさにうんざりしてきましたが、そろそろ物忘れなども出てくる齢ゆえ、全てを書き留めておきたいのです。
さんぼ


