先週から関東地方からのオーケストラが演奏会のためにドイツにいらしていたので今年最後の出張仕事をこなしてきた。
出張前に記事を書き溜め、自動更新を試みたのだが、やっぱりブログ初心者、どこをどう間違ったのか更新ならず。大変無念であった。
さて、残念ながら今回の出張がわたしの2011年、最後の交流関係の仕事だった。本当だったら11月にはドイツ人の合唱団の日本旅行などがあって、まだまだ忙しかったのだが震災のためにキャンセルされ、その次に予定されていた日本からの団体も延期となってしまったので、突然ヒマになってしまったのだ。
私は分単位で事務仕事を片付け、ばたばた動く癖があるし、そうしていないと生きている気がしないために、大変途方にくれている。
しかし、今年最後の交流コンサートは、二箇所で行ったのだが、そのどちらも非常に特徴的なものとなった。
最初のコンサート場所は、大学で有名な街。大きな街でコンサートを行う際に最も気になるのは果たして何人のお客様が来てくださるかと言うことだ。大きな街になればなるほど読めないのだ。なぜなら、小さな村や街で行う場合の時のような、交流相手のツテでやってくる人々の数が圧倒的に少なくなる。また、あちこちで文化的催しが行われている場合が多いので、客がそちらに流れていってしまうことも多い。そうかと思うと、こちらが唖然とするぐらい多くのお客様が来て下さることもある。予測が難しいのだ。
それにひきかえ、小さなところで行う交流コンサートは、ホールも村の多目的ホールとか体育館とか、教会の集会所などを使用することが多く、見かけはぱっとしないのだが、ほとんどの場合は非常に盛況で終わることが多い。
今回は、集客数に関しては、村と大都会の傾向が良く表れたものとなってしまった。やはり、大都市のほうはお客様が非常に少ないコンサートとなってしまった。
しかし、コンサート内容そのものは、大都市のほうは、日本からのオーケストラと、ドイツのソリストの曲を組み合わせた構成で、とても面白いものだった。一つの楽器の様々な表現の可能性をいろいろ紹介してくれる、かなり珍しい構成のコンサートだったと思う。これはお客さんが少なくて本当に残念だった。いらした人はとても楽しんでくださっていたと思う。
村で行ったコンサートは、その村のオーケストラが共演相手となっていたのだが、その歓待振りといったら、こういう事に慣れているわたしでさえ感動するほどだった。
私たちが到着するや否や、暖かい室内に誘われ、コーヒーの香り漂う集会所には既にテーブルがセットされており、テーブルの上は紅葉した木の葉や木の実でデコレーションされており、ジャムの空き瓶を利用した花瓶にはリボンと共に野の花が飾ってあり、ビュッフェテーブルには手作りケーキが10種類ぐらい用意されていたのだ。
ここでしばらく談笑したあと、合同練習。今回はドイツの曲一曲、日本の曲一曲、それからアンコールにみんなが知っているイタリアオペラからの一曲を用意していた。
もちろんコンサートは大盛況で、ドイツの合同曲はドイツ人のみんな知っている民謡のメドレーのようなものだったのだが、観客のおじいさんおばあさんも一緒に声を張り上げての合唱となっていた。大きなホールでのおすましなコンサートではこういう事はめったに無い。観客も演奏者も一体となったとても素晴らしい瞬間だった。
コンサートの後は、食事が大量に用意されており、観客で来て下さった人々も招待された。これは小さな村でコンサートをするときに良くやるやり方だが、あちこちに寄付金の籠を置いておき、ご飯をとった人は、それぞれ自分がいいと思った額をその籠に入れるのだ。50ユーロ札をはずむ人もいれば5ユーロの人もいる。飲み物も飲み放題。こういう事はさすがに生き馬の目を抜く都会では出来ないことでしょう。案外日本でやるのも結構難しい気がする。一人一律千円とか決められたり、事前予約が必要だったりしそうな気がする。
ところで、村でのコンサートのときに、とても感動的なことがあった。
オーケストラが日本の曲としてあの名曲「見上げてごらん夜の星を」を演奏したのだが、曲の前に司会役のドイツ側オーケストラの指揮者が、この曲について(自分で調べて)以下の説明を付け足したのだ。
これは40年以上前に作曲された曲です。日本では絶えることなく歌い継がれてきました。1995年の阪神淡路大震災の際も、「地上は地震で破壊されて変わってしまったけれども、空を見上げれば変わらずに瞬いている星がある。だから、上を見上げて変わらない星達から勇気をもらおう」と日本人の心に強く訴えた曲です。今年は3月に未曾有の災害が日本を襲い、ここに演奏に来て下さった日本からのお友達の祖国が大変な被害を受けました。だからわたし達も、日本の皆さんが不変の星たちから勇気をもらうのと同じように、上を見上げて、この空で繋がっている日本の復興を自分たちの事として祈り、できることをいたしましょう。
これを聞いて、私は慟哭しそうになったのだが、涙をぬぐいながら後ろを見ると、ほとんどの観客の方々が、涙を流され、この名曲に聞き入っておられたのだ。
ここにいらした皆さんたちにとって、このコンサートによって日本は、より具体的な、より近い国になったと確信できる。
心からこの仕事を続けていて良かったな。幸せだな。と思える瞬間であった。