私の新学期 | かけはし

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日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

ドイツ生活15年以上にして、心をいれかえ、9月下旬からの「外国人のためのドイツ語」講座に入学することを決意した。


そもそも、ドイツに来た当初は、ダンケとビッテぐらいしかわからず、来てすぐ住みついたところが、人口1000人の村で、自動車免許もなかったので、不精してすぐにドイツ語を学習しなかったのだ。


その後、子供が生まれ、ますます時間がなくなったし、そのころ仕事もはじめたので、更に時間がなかった。それでもやっている人はやっていたのだから、たんに私が不精だっただけなのだと思う。


その状態でどうやってドイツ語を覚えたかというと、私の主なテキストは奥様ゴシップ雑誌と料理の本だった。そのどちらも簡単な文章で構成されているために、日常会話への応用に役に立つのだ。それと、幸か不幸か住んでいた村は、英語を話す人が皆無に近く、村に一軒だけあったよろずやで買い物をしていたのだが、そこのお婆さんと会話しないことには何一つ買えなかったために、買い物だけでも私のドイツ語は(日常生活に必要な部分のみ)かなり鍛えられたと思う。

そのうち子供も大きくなり、幼稚園に行き始め、そこで殊勝な人ならその時間をドイツ語学習に充てるのだろうが、そのころ私は夢中で仕事に取り組み始めていたので、ちんたら習うよりも実践で鍛えようと、言葉面だけを見れば意欲的なのだが、その実態は単なる行き当たりばったりの手抜きな考えで、やはり学習をしなかった。


そのころ自動車の免許はとったが、授業はドイツ語なので、ほとんど一言もわからず、座っていただけ。試験だけは英語で受けたために一発で合格した。だから、免許をとってもしばらくは自動車学校の教科書を運転席の近くに置き、わからないときは車を止め、教科書をめくって確認していたぐらいだ。


外国人がドイツ語がへたくそなのは当たり前。もしも、充分な想像力と、理解力があれば私のブロークンなドイツ語も理解できるはずだし、理解できないとすれば、物分りの悪い人間か、わたしの言っている事にまったく興味がないかのどちらかだとすら思っていた。

この態度はあまりにも高慢だったと思う。


外国語学習において、もっとも大切なのは、表現するものを持っているか持っていないかということと思っている。その土地に住めば、何とか話せるようになるというのはその一番良い例で、だれだって、その土地に放り込まれれば何とかまがりなりにも意志の疎通が出来るようになるものではないかと思う。

しかし、それ以上の努力をしなければそれまで。これが率直に言って私の今の状態だと思う。恥ずかしい。


つまり、日常生活には不自由しないのだが、知性も教養も感じられないブロークンな言葉しか選べないし話せないのだ。これは何とかしないと、このまま老いてしまい、私のあふれる知性をドイツ人たちに知らしめる機会がなくなる!! まあ、これは冗談半分、本気半分だ。私はインテリではないが、私の話しているドイツ語からドイツ人が想像するほどのお馬鹿ではない(と思う)。


ドイツ語の冠詞とか格変化とか、とにかく無いものとして今までやってきたので、今こそこれを真剣に学習し、文法なども一回も習ったことがないので、教科書を初めから真剣に学習し、なんとか正確なドイツ語をモノにできるように努力したい。


そこで、住む街にある市民学校に申し込みの電話をした。そしたら、なんと「あなたに教えるコースはない。上手すぎる」などと言う。これは、はっきり言えば田舎の人に良くある反応というか、もっとはっきり言えばあまり外国人慣れしていない人に良く見られる反応。もっともっと言いにくいことをはっきり言えば、高等教育を受けていない人に良く見られる反応なのだ。

つまり、外国人であるのに、対等にドイツ語を話し、しかもかなりの早口で話すあたりで、もう出来ると思われてしまうのだ。私は日本語も英語もどちらかというとかなりの早口だし、しかもドイツ語の場合は冠詞などその他もろもろの、私には未知の部分をごまかすために更に早口になる傾向がある。

だいたいこういうことを10年ぐらい前から回りのドイツ人に言われていたので、勘違いしてこの幼稚なドイツ語で今までやってきてしまったのだ。


私は、そもそもドイツ語の文法はまったく習ったこと無いし、第一手紙を一つ書くにしてもものすごく苦労し、16歳の娘に冷笑されながら添削していただいている現状を説明し、何とか「外国人のための上級クラス」に入れていただいた。まあ、そのクラスの申し込みが、現時点で私だけなので、このクラスがもし催行されない場合は、もうちょっと手ごわい「ビジネスドイツ語」に入れていただく事にした。


それから、日課としようと思うのが、新聞購読。新聞はそれこそ正確な知性ある格調高い文章で構成されているはずなので、毎日読めば、かなりの勉強になるはず。考えてみれば、英語も高校のときからジャパンタイムスを購読し、外国のロック雑誌をむさぼり読む事によって、語学学校には行ったことは無いにもかかわらず、話せるようになっていた。まあ、英語に関してはちょっとずるで、実家が教会で宣教師がいつもいたことや、父が流暢に話せることも影響はしていただろうが。


再来年ぐらいまでには、大事な文書は下書きして、翻訳専門の人に添削してもらっているし、もっと軽いものは長女に見てもらっているのだが、これも全て自分でこなせるようになることを目標としよう。

長女にはその度に特別小遣いを要求されるので、それも節約になるし。


さんぼ


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