こんにちは✨
毒親生まれ毒親育ちの近江莉奈です!
今回もまた、
前回に引き続き子供の頃の話しを書きます。
【前回の記事はこちら👇】
私は
小学高学年にはすでに、【望まない現実創造のプロ】





になっていました。
若干10代にして、
とても再現性の高い
コーチングが出来る程の
腕前だったと自負します



本当に、望まない事だらけ





相変わらず、
父親からの
激しい罵倒、暴力、暴言、
母との喧嘩の飛び火
に加え、
私たちへの暴力も、
相変わらずで…
父が家に居る時は、
常にそんな事が
起こり続けていた
姉は高校生の時に、
父に殴られ
前歯が欠け、頬を腫らし
耐えきれずに家出した…
逃げた先の友達の
親御さんから
母に連絡があった
この時
『姉は友達の親御さんに、
何と言ったのだろう…?』
と、
私はそんな事を独り
黙って考えていた
2日後、姉は渋々
母に連れられ帰って来た
私は、母にも姉にも
それについて、
何も触れなかった
と言うか、
何も聞けなかった
姉は次の日、
学校を休んで
歯医者で歯の神経を抜いた
こんな環境に
家族全員が疲弊しながらも…
私は、
自分自身にも更なる
【最悪な現実創造】
を日々無意識に
繰り広げていました
あの頃は、
今よりもずっと
ずっと、
【時間の間隔】は
長かったはずなのに…
私には
タイムラグは
存在していないかの如く
不幸なハプニングが、
行く先々で、
それはまるで
アトラクションの様に
展開されていた
学校でも、
家庭でも習い事先でも、
友人関係にしても…
嫌な事ばかりが起き
毎日、
平穏などとは、
遠くかけ離れた世界に
生きていた
何を優先して書いたら
良いのか
もはや分からないほど
ある日の朝、
登校前に
些細な事で姉と喧嘩になり、
私はとても納得が行かず、
母にその事を必死に、
泣きながら訴えていた
すると、
突然…横から父にお腹を
思い切り殴られ、
私は玄関にひれ伏した
事があった
息が…
息が出来なかった

父は少林寺拳法
黒帯で、
それは、良からぬ方向
ばかりに
当然の様に使われていた
※ちなみに私も
そんな父親に対抗するべく
黒帯を取った
その日は、
中学最後の陸上競技大会で、
私はお腹の痛みで、
自力で歩けず
出場出来なかった
その時、
母が学校に連絡を
入れるのを、
私は横で
黙って聞いていた
『朝、起きたら頭が痛いらしく、今日は行けません』
こんな事が、
今までにも何度かあった
ほどなくして、
中学も
終わりに近づいた頃、
唯一、
鍵付きで私の安全地帯だった
四畳半が、
私の不注意で
火事で燃えた事があった🔥
その時も
『理由も聞かれず』
父が帰るなり、
胸ぐらを掴まれ私は、
漂白剤の大きなボトルで
思い切り頭を殴られた
衝撃で漂白剤が、
ボトルから勢いよく
漏れ出し
私は目の中が
焼け爛れたかの様な
激痛と恐怖で
もう、何がなんだか
分からなかった
燃やしたくて
燃やしたんじゃ無い…
その日はたまたま、
可愛がっていた
『ペットの命日』だったのだ
その後も…色々あり
私は小学の卒業式には、
左脚にギプスをして
松葉杖を付いて
卒業証書を受け取り、
短い小学校生活に
終わりを告げた
その後も
小さなものから
大きなものまで、
ベースは【不幸な現実】
を中心とした世界が、
次から次へと
私の目の前に
繰り広げられて
それは、
それは色んな人を巻き込み、
ありとあらゆる所で
それらは起こったのです
ある時は、
警察沙汰にまで発展したり…
親はもちろん、
先生にも酷く叱られ…
中学の多感期は、
本当に
精神的にも気分的にも
病む事が多く、
その頃は
自己否定と劣等感の塊でした
勉強はおろか、
何一つ中途半端で、
部活も何かしらの検定も
やる事なす事、
結果はイマイチで
そのうち、
チャレンジすることすら
アホらしくなって
すべてを辞めた
義務教育は私にとって
セルフイメージを
駄々さげにする、
地獄の様なものでした
私は今で言う、
発達障害、学習障害
HSPと言った類いの
要素を兼ね備えた子供
だったと思う
それは、
誰にも理解される事も
無く今に至る
やがて、
私が高校に上がる頃には
『家がそこにある』
から、と言う
理由だけで、
繋がっていただけの
家庭がようやく破綻し…
家族は全員バラバラ
になるのでした
と、同時に
【不幸の元凶
だと思って疑わなかった】
父親が突然、蒸発し
完全に私の目の前から
消えても
/
何故か…??
\
私の【不幸な現実創造】は、
その後も…順調に
奇策も20年以上も続いたのです






