日付が変わってしまったが、35年前の3/27はキャンディーズのありがとうカーニバル新潟公演を観るために前夜から列車で移動していた。


■会津若松経由で寄り道をしての新潟行き
金沢、名古屋、広島の公演を終え3/24に東京に戻り、今度は3/26上野発23:55発の夜行列車 急行「ばんだい」に乗って磐越西線経由で新潟を目指した。
上・信越線を使わず何故そんな遠回りをしたかというと、当時、「会津・ばんだいミニ周遊券」という切符があり、学割なら4000円前後の安価で急行列車自由席で喜多方まで往復する事ができた。喜多方ー新潟間は別料金を払ったとしても格安で旅ができる。
また、中学時代に友達と日中線(喜多方ー熱塩 今は廃止された)のSL C11を撮影に来た事があり、その思い出も辿りたい気持ちもあった。
夜行列車は翌朝5:12に会津若松に着くと、そこで日中線熱塩行きの始発列車に接続する。終点まで往復すれば朝の時間つぶしにもなるので思い出の列車に乗った。
#早朝の会津若松。455系の夜行電車から5:17発、喜多方経由熱塩行きの普通列車621レに乗り換える。
かつてはSL C11が牽引していた旧型客車2両のローカル列車だ。外はまだ寒い。
かつてはSL C11が牽引していた旧型客車2両のローカル列車だ。外はまだ寒い。

今日の記事の雰囲気を出すために当時のNHKの「新日本紀行」のテーマソングをBGMにしてみたい。
#新日本紀行のテーマ 冨田勲
#UP主様お借りします。
#UP主様お借りします。
喜多方から列車は単線のローカル線 日中線に入る。
たった2両編成の客車の最後尾のデッキに立った。

残雪が残る奥会津の風景の中を真っすぐな二条のレールが後方にどんどん去っていく。中学時代にSLを撮影に来た頃の事、これから向かうキャンディーズ新潟公演の事等様々な想いが交錯していたに違いない。

6:41に列車はどん詰まりの終着駅 熱塩に着く。

この先に線路はない。名実ともに終着駅である。

早速、側線を使って機関車(DE10)の逆方向への付替え作業が行われる。
映画「鉄道員」に出てきそうなのんびりしたローカル線の風景

向きを変えて喜多方に向け出発を待つ列車。
ちなみに日中線は1日3往復しか列車が走らない。午前に2本、夕方に1本。「日中には走りません」というジョークもあった。


喜多方に戻った私は磐越西線の普通列車に乗って新潟を目指した。
この列車も記録によると旧型客車だった様だ。

さて前置きが長くなってしまったが、ありがとうカーニバル新潟公演の話をしたい。
実は公演にはカメラな持ち込まなかった。
この時は後楽園のファイナル公演の切符は手に入っていなかったため新潟公演がおそらく自分が見る最後のキャンディーズのライブになる。だから目に焼き付けておきたい想いからカメラの持ち込みはあえてしなかったのだ。
広島公演よりステージが近かったので今思えば残念にも思える。
例のランちゃんに出そうとしたファンレターの下書きにも新潟公演については言及されてなかった。
唯一残っていた記録はこれ。
当日の新潟市体育館。
昼を回った頃の時間だと思うが既にファンが集まり始めていた。

周囲ではレコードやポスターの販売が行われていた。

キャンディーズトランプが800円。トレーナー3000円。
ありがとうカーニバルの金のドレスのポスターは500円?
このポスターなぜ買わなかったのだろうと今さら後悔している。
■BSNラジオ(新潟放送)のアナウンサーからインタビューを受ける!
早々と入場者を整理する列が作られ始めた時に思わぬハプニングがあった。

会場前に取材に来ていたBSNラジオ(新潟放送)のアナウンサーが寄ってきて、生中継でインタビューをしてもよいかと聞いてきた。バックパックを背負った旅姿が目立ったのだろう。
中継は始まった。
アナウンサーはキャンディーズのさよなら公演に全国からファンが集まっている事を伝えたあと以下の様なやりとりがあったと記憶している。
「君すごい荷物だね。どこから来たの?」
「東京です。」
「おお東京からわざわざ! 高校生?」
「4月から大学です。」
「おお、おめでとう! 合格したんだ! どこの大学?」
;
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というやりとりがあったあと、いよいよ核心の質問にうつる
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「ところでキャンディーズの3人の中で誰のファン?」
(きたーーーー! 私は胸を張って)
「ミキちゃんです!」
「あ、珍しいね。ふーん。ミキちゃんのどういうことろが好き?」
(よく覚えてない。。。全部と言ったかもしれない。^^;)
「ミキちゃんか。僕はね、ランちゃんのファンかな。どうもありがとう。」
ミキちゃんファンが珍しいと言われたのはとても心外だった。
しかし電波を通して新潟の人達にミキちゃんの熱烈なFANがいることをアピールできたのは嬉しかった。
新潟の皆さん覚えていますか? (笑)
さてライブのほうは、広島公演より見やすい高い位置から3人のパフォーマンスを思う存分堪能する事が出来た。
とにかく彼女達を目に焼きつけ様とした。
歌や演奏を全身で感じて聴き、ここぞという時には精一杯声援を送った。
アンコールの「微笑がえし」のエンディングで、ファンの爆竹が炸裂し一瞬キャンディーズとMMPの演奏が中断しそうになったハプニングがあったが、自分にとって最後を飾るにふさわしいキャンディーズのライブとなった。
その夜は新潟郊外のユースホステルに宿泊し、翌朝再び磐越西線郡山経由で東京に戻った。後楽園のチケットが無かったのでライブが終わった寂しさで一杯だったがまだ4/2の日比谷野音の前夜祭が残っていた。
このあとの記録は昨年の記事に書きました。
~1978年春 ファイナルへのラストスパート(17) ~4月2日 ファイナル前夜祭 ~
ありがとうカーニバル新潟公演の思い出は旅情編になってしまいましたが、
昨年書けなかった記事をようやくアップすることができホットしています。
ではまた。

#写真はありがとうカーニバル金沢公演より
上海にて
Bohemian78