
コンサート終了後、興奮も冷めやらぬまま夜行で東京に帰るべく国鉄広島駅に急いだ。当初どの様に帰ろうとしたかはよく覚えていないが、すでに20:00過ぎだったと予想され大垣発東京行き夜行への接続は不可能。九州ー大阪間の夜行列車を利用してまずは大阪へ出ることを考えていたはず。
この時の思い出も、以前ご紹介した33年前に出そうとしたランちゃんへの未完のファンレターでも若干触れている。下書き状態だったため細かい修正を入れながら、なるべく当時のままの文章で掲載します。
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広島公演の時はコンサート終了後、夜行列車を待つ広島駅の待合室でキャンディーズファンの15名程のグループと知り合い、楽しい時間を過ごしました。
彼らの1人が持参してきた小型テレビでTBSのザ・ベストテンを皆で食い入るように見つめていたのです。[1]
微笑みがえしの第一位が伝えられると一斉に拍手が沸き起こりました。
#広島駅の待合室。ポータブルTVでTBSザ・ベストテンでの「微笑がえし第一位」の映像に釘付けになるファン。キャンディーズカンパニー京都支部長の古川さんから後日送っていただいた写真

3人は先程のコンサートそのままの衣装でナタリー号の上で歌っていました。「こんなことなら我々もナタリーへ行ったのに」とその場にいた皆で残念がりました。

そのグループの1人はキャンディーズカンパニーの京都支部長の古川さんという方でコンサートなら大小合わせて70回は見たという大先輩でした。今も手紙のやりとりをしています。[2]
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[1] 当時既にポータブルテレビやTV付ラジカセは商用化されていた。ナショナルのトランザムやソニーのジャッカルなど。そういうものにも惜しみなく投資するファンに驚かされた。以下はビクターのラジオテレビ。当日の機種は覚えていない。

[2] 古川さんには広島駅での写真を送っていただき、その後1,2度お手紙を交換した記憶がある。丁寧でしっかりした文章を書かれる方だった。
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小型テレビで見た映像は白黒だったと思うが、まるでカラーで見たかの様に鮮明に記憶に残っている。有線での16位以外はレコード売り上げ等すべての枠で1位だったと久米ひろしさんが伝えた。
コンサート衣装にコートを羽織って駈けつけた3人。寒そうだったが念願の1位達成が知らされると万歳をして満面の笑みを浮かべた。3人とも最高に輝いていた。
ナタリー号船上ではくす玉が割れ花束が贈呈された。

広島ナタリーは海洋レジャーパークでデビュー間もないキャンディーズがイメージキャラクターに起用された。いわば「ゆかりの地」であった。

その場所で彼女達が念願の1位の報に接するという象徴的な出来事に思わず感動したファンは多かったと思う。
そして3人はナタリー号に恩返しをするかの様に船上で夜空に向かって「微笑がえし」を歌った。

あの時広島駅で一緒に祝ったファンの方達は今どうされているだろう。

彼らは大阪行きの急行「雲仙・西海」の指定席券を持っていて、指定券を持たない私も同じ車両に御一緒して談笑したのだが、たまたま座った席で朝まで爆睡してしまった。疲れがたまっていたのだと思う。夜行列車はリクライニングシートの当時新鋭の14系客車だった。
その時の事が今でも申し訳なく、一宿一飯ならぬ一夜行一座席の恩義をいつか返さねばとずっと思っております。もしこのblogをご覧になっていたらコメント欄かゲストブックに御連絡いただければ幸いです。
35年前のあの時、皆さまのおかげで最高の時間を共有できたことに心から感謝しております。