まだまだ暑い9月。今宵サルサで! ~ オルケスタ・デ・ラ・ルース ~ | Bohemian78-ambのブログ

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猛烈な台風が日本海に抜けた日本列島。まだまだ暑い日が続きそうだ。


オルケスタ・デ・ラ・ルース。スペイン語で「光の楽団」。
彼らが衝撃のデビューをしたのは22年前のこのアルバムからだった。


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1990年に発売されるやいなやそのサウンドはまたたく間に世界中のラテンファンをとりこにし熱狂の渦に巻き込む。
11月 全米ビルボードラテンチャートで11週連続第一位。
同アルバムは全米でゴールドディスク獲得。

1991年 初の中南米ツアーで8万3000人を動員。
2ndアルバム「サルサに国境はない」もたちまち全米ゴールドディスク獲得。スペイン
、メキシコ含むワールドツアーではさらに8万1700人動員。
日本レコード大賞特別賞受賞。

1992年の欧州含むワールドツアーでは18万5000人が熱狂。
NY批評家協会賞で[Best Album of The Year」「Best Band of the Year」を受賞
などなど、その栄光を上げれば枚挙にいとまがない。

まさに日本を代表する世界的なラテンバンドとなった。

日本人のサルサがなぜここまでの評価を受けたのか。
確かにメンバーは実力者揃い。カルロス菅野、青木タイセイ、佐々木史郎、若手で成長著しい塩谷哲など日本を代表するJazzメンばかり。ボーカルのNORAさんは作詞も手がけるほどスペイン語堪能だ。そしてサルサでありながらも彼らのそして日本人としてのアイデンティティーを持った楽曲がどんどん紡ぎ出されていった。おそらくそれはミュージシャンとしての実力だけではないと思う。

日本は戦後貪欲に西洋の音楽を吸収していったときく。
ラテンもその1つでラテン+歌謡曲が融合した
「ムード歌謡」という独自文化を生み出した。和田弘とマヒナスターズ、ロスインディオス等々御存じの方も多いと思う。そういった文化背景も日本独自のオリジナリティーが発揮できた一因ではないだろうか。

中でも私は2ndアルバムの「私はピアノ」が好きだ。高田みずえちゃんやサザンであまりに有名な曲のカバー。

~「私はピアノ」 オルケスタ・デ・ラ・ルース~
#UP主様お借りします。



塩谷哲のビアノが実に素晴らしい。トゥンバオというラテン独特の伴奏リズムが若き精鋭の手にかかると若々しくしなやかで繊細に歌いあげる。

当時のテレビニュースでニューヨークのヒスパニック系のタクシードライバーが車内でデラルスのCDをガンガンかけている光景を見て何とも誇らしく思ったものだ。デラルースの中南米ツアーでは何度か盗難にもあったらしいが盗られたのは金ではなく彼らのCDだけだったという微笑ましいエピソードもFMラジオで聞いたことがある。


やはりサルサは歌とリズムと踊り。
この鈴木ヨシローさんのコンガ、かっこよすぎ。
NORAさんとのかけ合い最高やなーー。


~オルケスタ・デ・ラ・ルース CUERO SONO ~
#UP主様お借りします。


ベースとパーカッションががっちり組んだ裏ノリのリズム。そして力いっぱい吹きまくるホーンセクション。これがラテンの醍醐味です。

まだまだ踊り足りない人はこの曲などどうでしょう。
ANAの沖縄キャンペーンソングにもなったと記憶してます。3rdアルバム収録曲

~ オルケスタ・デ・ラ・ルース Soy esa mujer ~
#UP主様 お借りします。




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さて今宵のサルサナイト、 さらに3人のスペシャルゲストが登場!

エレキベース    ミキ・マリアーノ・フジムラ!
 
パーカッション   ラン・フェルナンデス・イトウ!

トランペット     ヨシコ・エンリケ・タナカ!


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#狂蘭さん ランちゃんのドラム写真お借りしました。

ミキのベースから溢れ出るクラーべのうねりに、ランが刻むティンパレスのキメのフレーズが閃光の如く炸裂。 そして熱く夜空に響き渡るヨシコのトランベット。


まだまだ私の暑い夏は終わらない。
今宵サルサで!
Vamos a bailar!

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Te amo,  Miki !