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さっちゃんのブログ

現在、筑波大学社会・国際学群国際総合学類3年次所属。

興味があるのは平和構築・教育開発・平和教育・市民教育etc..
About myselfでは勝手に自分をふりかえり
Diaryでは日々のことをつづり、
その他、訪れた諸外国についてup予定★

こんばんは


PCこわれちゃって家で勉強ができずこまってます


ま、全然「勉強」しないんですけどね。


今学期ろくな成績になりそうになくてショック…




バイトが23時すぎにおわって大学の端末へ。

端末24hOKなのはありがたい。


友人マミが1年半前くらいに立ち上げたCLOVERというユースNGO団体のもろもろについて頭を悩ませたり、段取り組んだりしてました。


あと最近はもっぱらどうやってお金を手に入れるかそればっかかんがえて

金勘定にとらわれた女に…

Oh No.

派遣やるかやらんか悩んでる。断るなら早く断らなきゃと思う。

だが夏休みの旅費がほしい。

一度担当者にあったとき長期じゃはたらけないって言ってみればよかった。

こうして学びます。。。


あんまり契約規約やぶったりしたくないな。

今日バイトいって、つくづく今のバイトは自給は高いとは言い難いけど、めぐまれてるなと思う。

新しい仕事がこわい・・・

がお金がほしい。

新しいバイトは2学期入ったらやめるのか。長期でって入ってそんなことあんましたくないんだけど。

真面目に考える人間です。



お金が必要なのは、夏休みに国外逃亡したいから。

8月後半から新学期開始ちょいすぎくらいまで海外にいきたくて。

今は1週間バルカンあたりをぶらぶらして、2週間UKで語学学校に行く予定。

学校代は親に払ってもらうけど、その他は自分で出すと決めたけど、これまで貯金が全然なかっったからちょっとなあ。

かせぎたい・・・・



ああ、I need time and money.


さらに大学生活勝手にふりかえり。


1年生は・・・・


何もわかっちゃいやしませんでしたね。


いや、今もきっと社会人からみれば何もわかっちゃいないんでしょうけど。



大学にはぽわーっと入ったものでしたから

具体的に大学がどういうところか全然想像してなかったし

何がしたいかもあまり考えていなかった


「具体的にわからなくとも、フィールドくらいは考えておけよ!!!!!」


と戻れることならいいますけどね、自分に。


けど、それができないのが、面白いところですよね、人生の。笑



まず春頃驚いたこととまどったことを列挙すると

・飲み、コール

・人間関係構築

・初めての一人暮らし

・サークル

・授業


かなああ。

飲みは、いやはや、コールなんて全然想定してもなかったし、あんまり興味なかったからびっくりしました。

何の意味があるんだと思いながらのろうのろうとしたけど、のれなかった…

性分的にむりかなあ。

おいしいお酒を普通に飲みたい。

でも、そう。

人間関係…いやネットワークを構築するには、このコールに乗れないのはいわゆる「KY」。

そういや、心理学の先生がいってました

「KY」なんていうのはいじめですよって(:_;)


自分なりになんとか大人数の飲み会とかに参加しようとしてましたけど、楽しくもなく。。。

中途半端に仲のいい大人数で飲むことをなかなか楽しめなったのでした。

今は少しは、楽な気持ちで臨めるけど、ケースバイケースですかね。



人間関係といえば、

大学入って初めて自分が人見知りであることを知りました。笑

それまでそんなこと感じなかった…

いや、ちょっとはあったけどそこまでとは。

コミュニケーションあんまりうまくとれなくて

大学には何か私の知らないルールがあるんじゃないかと

何がKYで何がそうじゃないのかがわからなくて

あんまり話さずひたすら笑ってて、口がひきさけそうな毎日でした。笑

笑ってたから楽しそうにみえたかもしれないけど

楽しくなんかなかったんだからーーーーーー!!!!w


いや、もちろん本当に楽しかったこともあったんですけどね。

緊張してたんだろうな。

なんか肩の力がぬけなくて、それを相談するわけにもいかず。


でも、そのうち

少しは自然体でいられる友達もみつかって

そのストレスは少し軽減しました。



1年生って無理するんですよね。

だから、いつも1年生に会うときは、そういう無理をできる限りさせたくないなっと思ってます。

この子はこんな子かなとあまり断定しすぎないように気をつけてます。



以上のようなことは


周りがどうのこうの

KYがどうのこうの

というのも全くないとは言わないけど


私の高校までの人間関係の築き方とか

他人とのかかわり方にも大きな原因があったんだろうなと

最近は思います。


なんというか、極端に言うと、あまり他人に興味がなかった

好き嫌いはしなかったけれど

裏を返すと興味がなかった


そして、他人に自分をわかってもらおうとか共感してもらおうとか

そういう気持ちを持っていなかった。


今学期履修しているイギリス文学の授業の先生のお言葉を借りるとすれば


「内在性(自分の立場で共感してほしい)」も「超越性(自分の立場とは少し距離を置いて指摘してほしい」という欲求も希望も放棄していたことになるわけです。


だから

「場」をつくることとか

会話の流れとか

他人の動きに

すごく意識が散漫でした


そんな中で

県外の大学で一から関係づくりをするということは

困難を伴ったのかもしれません。


中高6年間ほとんどかわらない人間関係の中で生活していたというのも起因するかもしれません。




そしてサークル。


「取捨選択」や「キャパシティ」を理解していませんでした。

そういう意識のかけらさえもなかった

とりあず、人間関係への不安とかが先にきて

自分がやりたいこととかを完全に見失っていました。


目的意識って大切ですね。

あと、自分が何を大切にしたい人間なのかを認識していないと

自分を見失いがちです。


どうかかわれるかとか

何に共鳴したのかとか共感したのかとか

考えていなかったために

適当な気持ちでサークルに入ってしまったために


その後いろいろ思い悩みました。

そして1年の冬から春にかけて崩壊しました!!!一度!!!

たくさんの人に迷惑をかけました。


中途半端が一番嫌いなのに。


そして、もう反省して再度構築しました

が

やっぱりその迷惑をかけた後ろめたさは尾を引きますね。


だから、何事もなぜ自分はこれにかかわるのか

何がここでしたいのか


考えて動かなければならないことをここで学びました。



1年生はとりあえずふわふわ、おろおろと生きていました。

考える力をもっている1年生をみると

本当に関心します。













小学校には、平和教育ってありましたよね(世代によってその有無と呼び名違うのかもしれませんが)


うちの小学校にもありました


福岡出身なので、福岡大空襲の日とかになると、体験者の方のお話があったり

先生たちが人形劇をやって解説するのを校内放送でみたり

被爆とか原爆後遺症の写真の展示がされたり。

いろいろやってたなってうっすら記憶があります



修学旅行では、長崎に行きました

最後に1日だけハウステンボスによって、あとは長崎をグループでまわったり

浦上天主堂や山里小学校、原爆資料館とかをまわりました

暑い暑い日でした


そんな中で、被爆者の方のお話を聞く機会がありました

大体きっと修学旅行でそういうコンセプトでやると、そういうのはあるかと思います。

60~70代のおじいさんでした。

当時そうですから、被爆当時は小学生くらいだと思います。


話の内容はそんなに詳しくは正直覚えていません。

ですが唯一、おじいさんが「ほかは忘れてもこれだけは忘れないでいてほしい」といった言葉だけをしっかりと覚えています。


それが

「戦争の最初の犠牲者は真実である」

でした


少しネット検索したところによると、とある記者かカメラマンの言葉だとかなんだとか


まあ、その所在は別にいいのですが

当時とても印象的でした


私はそれまで

原爆や空襲でどれだけの人間がなくなり

残された人々がどのように過ごしてきたのか


そういう人間の苦しみを教えられてきました


ところが、このとき、おじいさんは死亡者の数や原爆の恐ろしさではなく


奪われてしまった知る権利を強調しました


人が死ぬとかそういう問題の前に


戦争によって奪われたものはもっとほかにもあるのだということをこのとき初めて知りました。


人間が戦争によって精神を蝕まれるということがあるのかと


正義はどこにあるのかと


じゃあ誰が苦しみ、誰が犠牲者なのかなど簡単に判断できるのか。


こども心にそんなことを思いました。



中学生になると、平和教育とよぶようなものはあまりありませんでしたが

仏教校だったので、仏教の時間というものがあり道徳のような性質ももっていました。

その中で、ある先生が中学3年生くらいのときの授業で

日本軍の占領の写真(集?)をみせてくれました

どういう意図かはわかりませんが。笑



初めてみるような写真ばかりでした


決して今まで学んできた教科書にはありませんでした



非常に衝撃を受けました

それは、右とか左とか歴史認識がどうとかではなく、

単純に個人の経験として

みたことのない世界に驚きました


みたことはあったかもしれませんが、強調されなかったのかもしれません


私の意識不足もあったかもしれません



その夏休み、私はたまたまケストナーというドイツ人作家の伝記をよみました。

ナチスドイツ時代を、多くの知識人が亡命するなか、ドイツで生き抜いた作家です。


ナチスドイツには昔からたぶんLife is beautifulの影響もあって興味があったのでその流れでよんだんだと思います。

ですが、買ってきたのは母なので、すごいですね。笑

私は昔から読書感想文は家の本棚から探していました。


話がそれましたが、ケストナーがドイツに残った理由の1つとして

何があろうとことの始終をこの目で確かめるという意思がありました

彼は故郷ドレスデンをこよなく愛していたし、そこに信じる姿勢のすべてを託していたような気がします

中学生のわたしには、自分の身にも危険が及ぶなかで、信じたものが壊されていく現実にそう簡単に向き合えるとは思えず、彼の姿勢に感銘を受けるばかりでした。



その翌年の夏は

阿川弘之の「雲の墓標」を読みました。

学徒出陣に際し、特攻隊として訓練をうける吉野という主人公の日記という形でつくられた作品です。


私は昔から日本の戦争もののドラマなり映画がどこか苦手で。

特に特攻隊を悲劇の英雄だ!!という印象をうけるようになされているのがあまり好きではありませんでした。

彼ら自身が自分をそう思って飛び立ったかなんかわからない(もちろんそうでないかもわかりませんが)

結局彼らをそうした世界の中に閉じ込めてしまうことは

確かにそういう面はあったとしても、一種のプロパガンダか何かのように思えて


結局60年前となんらかわらないじゃないかと思っていたからです。

伝えることはもっと別にあるだろう、

彼らが飛び去って行ったことの悲劇に終始する以外に何かまなぶべきものがあるだろう、と感じていました。

彼らを悲劇の英雄扱いにすることは、私には彼らを単なる「過去のできごと」に押し込めてしまわれるように思えました。

だからといってじゃあどう伝えればそうなるんだといわれると難しいのですが。


とはいえ、淡々と続くこの本は、もっと身近な視点で彼らとそして彼らをそうさせたものの存在を感じさせました。


この2つの本は今でも、これからもずっとどこかで私のキーワードになるんだろうなと思います。



いずれにしても、「真実」とはなんなのだろうか

という疑問が頭から離れませんでした。


おじいさんがいった「真実」

奪われたという「真実」


それはなんなのだろうかと思いました。


互いの正義により覆い隠される真実とは何者なのか


「戦争に正義などない」という言葉もあります。



たとえ「正義」や「真実」などないにしても

私たちがそれを奪われたと感じるのはなぜなのか


原爆問題について幾度となく触れても、植民地政策についてあまり触れられてこなかった自分の受けた教育はなんだったのか


私も結局

おじいさんの言った

何かに、社会に、大人につくられた渦の中でもがいて

自分の目でみることもなく

フィルターを知らず知らずのうちにかけられてるんじゃないか


そう考えるととてもこわかったのです



論理や証拠などはさておき

そういう状況におかれているのではないか


おじいさんが言ったことは決して過去などではなく


今の自分にも言えるのではないか


そうずっと小学校から思っていました。

思うというより、感じていました


なんとなくの不安がありました。



そうした想いが

すごく抽象的でしかなったけど

なんとなく

世界について学んでみたいという気持ちを呼び起こしました

きっときっと世界には知らない何かもっとたくさんがあるのではないか


自分がこれまで教育を受ける中で削除された何かが


そしてそれを自分で探しだす力がほしいと


その希望を託して

そういう方向に向かっていった気がします。