「ごめんなさい。。。」
それはそれは
沢山の遺影を
前にして
わたしの口から
ポツリとでた言葉
「ごめんなさい。。。」
なぜそんな言葉が
出たのか自分でも
わからない、、、
古屋サマンサです
(高1息子の三者面談に行ってきました)
現在高1の一人息子は
中学から九州の寮に
入っているのだけれど
彼が九州にいる間に
一緒に訪れたかったのが
鹿児島にある
知覧特攻平和会館
第二次世界大戦時
全特攻戦死者
1,036人のうち439名が
この知覧基地から
出撃していったそうで、、、
その跡地に建てられた
知覧特攻平和会館には
特攻隊員の沢山の
写真と共に遺書や手紙
戦闘機などが
展示されている
わたしね、、、
「広島平和記念資料館」を
見に行った時も
心に相当なダメージを受けて
しばらく口も聞けなかった
くらいだったから
知覧特攻平和会館に
行くのも正直とても
怖かった
でも、息子には
どうしても見て欲しくて、、、
今回一緒に行ってきたのよ
特攻隊員として
出撃したのは
17歳から32歳の男性で
息子とまさに同年代
14歳から入れる
少年飛行兵学校は
当時の少年たちには
憧れの的で
全国から選抜された
少年たちが寝食を
共にしながら学ぶ姿は
さながら今の息子の
寮生活のよう。。。
そんな子供たちが数年間
厳しい訓練を重ねたのちに
向かうのは
命を散らすために向かう戦地
こんなことのために
息子を産んだわけじゃない!
こんなことのために
我が子を育てて
きたわけじゃない!
特攻隊員の母たちの
そんな叫びが
聞こえるようで
胸が苦しくなって
涙が止まらなかったわ。。。
多くの特攻隊員たちの
手紙を見ていて
なんとも言えない
気持ちになったのが
この命をかけた
特攻隊としての出撃を
彼らが「誇り」や
「親孝行」として
捉えていること。。。
(手紙の上だけで
本音ではどうだったのかは
わからないけれど)
冗談じゃない、
冗談じゃない、
親孝行とは
子供が幸せになること
そして親より一日でも
長く生きること
戦争で死んだ我が子のことを
「なんて親孝行な子供
だったんだろう!」
と、喜ぶ親がどこにいる?
それなのに
『航空少年』『飛行少年』
といった雑誌を巧みに使い
純真無垢な少年たちに
「憧れ」を持たせ
航空兵に志願させた
当時の国や軍が本当に許せない
特攻隊最少年だった
17歳の彼もまさに
軍にいいように洗脳されて
大切な命を奪われてしまった一人
ただの「憧れ」で入ってしまい
入校後に恐ろしい現実を知った
こんな当時14歳の少年飛行兵もいる
これは結果論かも
しれないけれど
どうせ降伏するのなら
なぜもっと早く
しなかったのか?
原爆を落とされる前に、、
沢山の尊い若い命を
犠牲にする前に、、、、
個人の命よりも
国の方が大切なの?
一体誰のための戦争なの?
戦争を引き起こしている
国や軍のトップは
まずは自分の愛する子供を
敵地に送り込みなさいよ!
なんなら無人島で
自分たちだけで
勝手に闘いなさいよ!
と、わたしはいつも思う
これだけテクノロジーが
発達進歩しても
「戦争」だけは何万年
経ってもなくならない
なんという
人類の愚かしさ。。。
以前は日本人同士が
殺し合っていたのが
今は他国との
戦争になったから
それが進歩と言えるのか?
それがいつか宇宙人と
戦う戦争になった
地球人同士で争うことを
やめるのかしら?
軍事産業で
利益を得る人以外
誰も幸せになれない
「戦争」という
野蛮な行為が
この地球🌏から
無くなる日は
一体いつ来るの??
戦争で、愛する家族や
子を失う悲しみをいつまで
女たちは耐え続けなくちゃ
いけないの?
「戦争反対」という人の
数の方が圧倒的に
多いはずなのに
一部の巨大な力を持った
権力者によって
一般市民が戦争へと
巻き込まれていく、、、
そんな魑魅魍魎が蠢く
世界で生きていくことが
時々本気に嫌になり
この地球🌏で生きるより
「魂の故郷」に本気で
戻りたくなる
サマンサです。。。
「ごめんなさい」
という言葉が
遺影を前にして
ふと口をついてでたのは
我が子の命を
守ることができなかった
彼らの母の無念な気持ちが
わたしに言わせた言葉
なのかもしれない。。。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
あなたたちの命を
無駄にしないように
わたしはわたしの
息子にしっかりと伝えます
「愛する人を
愛する国を守るために」
そんな美化された言葉にのって
人間同士が殺し合う戦争に
絶対参加してはいけないこと
自分を殺すこと
人を殺すことからは
悲しみと苦しみしか
生まれないことを。。。
15歳の息子は
こちらのオンライン
ミュージアムでも
特攻隊の手紙を
見ることができます
デジタルアーカイブにある
穴澤利夫大尉の
恋人への手紙も
泣けて泣けて
仕方がなかった手紙です
ぜひ読んでみてください、
(知覧特攻平和会館のHPから)
ごくごく普通の
派遣社員から
50歳近くで
全国を飛び回る
セミナー講師へとなったのは
「どーせ無理」という
「心のブロック」を
解除したお陰
わたしだけじゃなく
たった1年〜2年で
ここまで人生が変わった
彼女たちのストーリーも
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