どんな人も
いつかは死ぬ
死ぬことって
そんなに不幸な
ことなのかしら?
癌になることは
なにかの罰なのかしら?
と、思う
乳がんサバイバーの
古屋サマンサです
今日はとある
コミュニティーの
zoom会に先程まで
参加していて
わたしが乳がんを
発症した同じ
2019年に子宮がんを
発症した方のお話を
聞いていたのだけれど
わたしが最近
とみに感じるのは
病気になることは
その人がなにか
過ちを犯した罰のように
捉えられるのが
すごくいやだなー
ということ
そして病気になること
死ぬこと自体が
不幸だと捉えられるのも
すごく抵抗感を感じるわ
わたしにとっての
「不幸」は
癌のような
病気になることでも
死ぬことでもなく
病気になることで
身体の不調を感じること
死ぬ迄のプロセスで
肉体的な苦しみを
感じることなの
わたしからしてみれば
この世で肉体をもって
生きていることこそが
とても大変なことであって
なんならなにかの
「罰」のようにさえ
思えるくらいよ(苦笑)
死ぬことはそういう
肉体的な苦しみから
開放されることであって
けっして「不幸」なことと
捉えてはいないから
「死ぬ=不幸」
「死ぬ=可哀想」
という考えが
わたしにとっては
とても違和感に感じる
わたしは今
先日したPET検査で
怪しい影が再発なのか
どうか。。。
という結果待ちな
状態なのだけれど
わたしが怖れるのは
「再発」や「死」に
対してではなく
「再発」することによって
今後治療で感じる「痛み」や
癌による「痛み」への
怖れであって
「死」に対する
怖れではないわ
ましてや
自分がなにか
悪いことをしたから
「癌」になったとも
思わない
暴飲暴食をしていても
病気にならず
長生きをする人もいれば
どんなに健康に気をつけて
節制した生活を送っていても
病気になる人はなるし
死ぬ人は死ぬ
それをなにかの
罰のようにいう人に
抵抗感を感じるわ(笑)
じゃあ、早死にした人は
なにか問題がある人で
長生きした人は人格的に
素晴らしいひとなんですか?
と聞きたくなる
どんな人も
この世で肉体を
持ちながら懸命に
生きているいることが
素晴らしいことであって
「死」はそんな苦労から
卒業できる
素晴らしい日だと
わたしはおもっているわ
こんなわたしに
賛同してくれる人は
少ないかもしれないけどね(苦笑)
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