【生まれ育ち】
1968年 札幌生れ
その後 1歳から結婚するまで
鎌倉(保育園)・逗子(小学校)
葉山(中学~結婚)と
緑豊かなで湘南で育つ
<家族構成>
何ヶ月に1回帰ってくる
中小企業の経営者の父
(物心ついた頃から別居)
専業主婦の母
2歳年上の兄
<どーせ無理オンナの種>
「両親が離婚するんじゃないか」と
怯えていたわたしは
常に最悪なことを想定して
おくことが癖となる
期待をしてはいけない
希望を持ってはいけない
そうすれば何か起きても
傷つかなくて済むというのが
子供の頃に身につけたこと
【バブル最盛期の大学時代】
1987年青山学院大学仏文科に入学
同級生はこぞって頭がよくて
活発な美人ばかり
大学の雰囲気や友人たちの
華やかさにもついていけず
テニスサークルも
わずか半年で辞めてしまう
そんな中、唯一楽しかったのは
休みの間の海外旅行
親のお金で友達とではなく
母と行く「一卵性母子」(←やばい)
インド、トルコ、
南米
(ブラジル、アルゼンチン、ペルー)
アメリカ
(ニューヨーク、ボストン、ハワイ)
香港など
お洒落なところより
秘境っちっくな
ところが好きな女子大生
印象に残っているのは・・・
インドの聖地バラナシの沐浴風景
カンジス川のボート上から見た光景は
「生と死」が混とんとしていて
20歳のわたしにとっては何よりも
衝撃的であった。ただインドは
どこの国よりも懐かしい感じを覚えた
いつかあの街に・・・(インド)
アマゾン河で牛肉を餌にピラニア釣り
フライにしてもらって食べたら
あっさりとしたフライドチキンの
ようで美味しかった
ヘリコプターから見たイグアスの滝
あれは「滝」ではない
あちこちの大地の裂けめに大量の水が
落ちていく姿は、まるで「天地創造」の
1シーンのようで圧巻
大学時代の旅行話は
女子大生サマンサNYに行く①
女子大生サマンサ NYに行く (最終回)
【どーせ無理オンナの開花】
時代はバブル期
超売り手市場で
どこにでも就職できた時代
幼いころから大事に育ててきた
「どーせ無理オンナ」の種が
就職活動時期に見事に開花
たった一社落ちただけで
就職活動に挫折し
葉山の山奥で
家事を手伝わない
「家事手伝い」時代に入る
一言でいえば「半引きこもり」
自分は「人生の落伍者」と思い
親に「死にたい」と口走る
<家事手伝い時代の習い事>
・フランス語会話
(短期語学留学・仏検2級取得)
・裏千家茶道(20歳~27歳)
・着付け(着付け講師4級取得)
・洋裁(オーバーコートを縫うまで)
・朗読(母譲りの自覚のない大阪訛
が直せず2~3ヶ月で辞める)
・お料理(試食にしか興味持てず)
親にさんざん
「好きなことをやりなさい」
と言われても
そもそも「どーせ無理オンナ」は
「好きなこと」さえわからない
そんなこんなで、夢中になったり
好きだった習い事はひとつもない
「どーせ無理オンナ」